「メモ」と「ため息」

 

最近妻がよく見せる姿・・・

ため息・・・はぁ・・・

 

 

悲しげに静かにしている時もある・・・

こんなに若くはないが

 

 

「メモ」がうまく出来なくなった・・・

 

 

走り書きのメモは、部屋のそこかしこに漠然と置かれている。見返している様子は伺えない。当然、それを整理した「メモノート」の作成はない。

 

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認知症になって、妻は自分なりに「メモ」を作成・整理して、欠ける記憶力を補うべく努力して来た。

 

いつもは、先ず雑紙に走り書きでメモを取り(書き)、次いでそれを整理して大切なことはノートに記入する。出来上がった「メモノート」を毎日何度も何度も見て、薄れる記憶を保っている。

 

元気な時はしっかり「メモノート」を作っていた。

 

買い物メモの作成は、買い忘れ防止に加えて、同じものをいくつも買ったりしないようにするのに役立った。

 

ひとりで電車に乗って外出する時(今はない)は、家から駅までの道順、地図、改札を通って〇〇ホーム、〇〇行き電車に乗り、〇〇駅で降りて・・・、全ての工程「メモ」を(僕も協力して)作成して、番号を振り、それを基にひとつひとつ確認しながら行動していた。それでも間違うことはあったが、紆余曲折して何とか目的地へ到着できた。

 

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が・・・

最近妻がよく見せる姿・・・

ため息・・・はぁ・・・

 

「メモ」がうまく出来なくなった・・・

 

妻に聞くと、「走り書きのメモ」をまとめて、整理して「メモノート」を作成することが出来なくなったと言う。負担が大きく、苦痛を感じているようだ。


 

さて、どうすべきか?