大学生の時は東京の国分寺に下宿していた。
18才で上京。親元を離れての初めての生活、下宿は大学生協の紹介で決めた。


下宿と言っても、ワンルームマンションやアパートではなく、個人のお宅で部屋を借りる
ものだった。「賄い付き」(朝食、夕食を出してくれる)下宿で、学食での昼食を含め、きちん
と3食が摂れるからと両親も納得してくれた。


下宿先のNさん宅は、30代半ばくらいの奥さん(当時そう呼んでいた)と高校生の息子さん
そして70代くらいのおばあさんの3人暮らしで、いわゆる母子家庭のお宅だった。


奥さんは、小柄でスレンダーな感じの、化粧っ気のない「石田ゆり」さんのような方だった。
正社員ではなく、2か所の勤め先を掛け持ちされていて、「早朝」と「昼から夕方」に
働いていた。これ以外の時間で家事もこなされながら、下宿人の食事も出してくれて
いたのだから、今振り返れば、相当に大変だったろうと思う。
多分、パートの収入と、おばあさんの年金、旦那さんの保険金等で暮らしを立てていて、
自宅の1室を下宿人に貸すことで生計を補っていたのだと思う。


お住まいは、平屋の古い日本家屋で、廊下で繋がる6畳間の離れが下宿人の部屋だった。
何も知らない私は、最初、ご家族と一緒に食事をするものだと思っていたが、最初に奥さん
から「お互いのプライバシーを守りたいから」という話があり、食事は、決まった時間
に部屋に運ぶので、それを食べてほしいということだった。
また、トイレの使用はOKだが、風呂や洗濯機は貸せないからということで、近くの銭湯や
コインランドリーに行った。借りた部屋は、鍵がかかる構造ではなかったが、勝手に入った
りはしないという約束だった。


大学への行き帰りなどに、玄関や廊下で挨拶する以外にご家族との交流は無く、少し
寂しくも思った。昔、貸していた下宿人たちとは違う形だったようだが、長く貸すうちに、
一番良いやり方に決めたようだった。


Nさん宅は、日々大変つつましく暮らしておられて、家にTVは無かった。特に支障が
無いからと言っておられた。ただ、毎日、トレーに載せて運んで来てくれる食事は、朝は
「トーストと紅茶」と決まっていたが、夕食は、「ごはんとみそ汁」に、「焼き魚やハンバーグ」
など主菜に必ず副菜が付いていて、学生向きでボリュームがあり、健康的な内容だった。


朝、夕の食事を、奥さんはいつも笑顔で運んで来てくれた。休日等には、たまにだったが、
家族で召し上がる西瓜などをご馳走してくれることもあった。最初は、寂しくも思ったが、
大学生活に慣れてくるにつれ、友達も出来てきて、ご家族との交流が無くても、特に支障は
無いものと思っていた。


そんな暮らしをしていたが、大学1年生の夏休みが終わり、秋風が吹き始めた頃のこと
だった。・・・朝、外出する時に、廊下や玄関の掃除をしていて、いつも元気に送り出して
くれる、奥さんの様子が少しだけ違うのに気が付いた。どうしたのだろうと思い、振り
返って顔を良くみると、奥さんは泣いていた。
「プライバシーに触れるから」と今までは聞くのをためらっていたのだが、理由を伺うと
「山の写真を見ていて旦那さんのことを思い出してしまった」と話された。


Nさんの旦那さんは「山岳写真家」だった。お子さんがまだ小さい頃に、山の事故で亡くな
られた。家にあった写真の大半は片づけられたそうなのだが、その日の掃除で、普段、掃除を
していない場所にあった写真を見つけてしまったのだという。
いつもはあまりお話しをされなかったが、その日は旦那さんのことをたくさん話してくれた。
昔、奥さんも登山を趣味にしていて、旦那さんと知り合ったのも山だったという。


その日の奥さんは、何だかいつもと様子が違っていて・・・それは夕食の時にも感じた。


・・・深夜のこと。寝ている私のふとんに、誰かが入って来た気配を感じて目が覚めた。
見てみると、奥さんが向こう向きで寝ていた。・・・きっと寂しかったのだろうと思う。


今になって振り返れば、お互いに独身だったし、抱いてあげても罪はなかったのかとも思う。
でも、当時の私は、若すぎて、とても純粋だった。女性の体に興味はあったが、何だか「とても
いけないことをしている」ように感じて・・・ずっと寝ているふりをしていた。
彼女の方もそれ以上、私に何をするでもなかった。添い寝は外が白む頃まで続き、明け方に
もう彼女はいなかった。あれは、夢だったのか、現実だったのか・・・今でも良く分からない。


翌朝、ドキドキしていた私に、奥さんは何事もなかったかのように、笑顔で朝食を運んで来た。
・・・それからは、いつも通りの生活が続き、その日のことはお互いに何も触れなかった。
Nさん宅には、2年生まで下宿をしたが、息子さんが受験生となり勉強部屋に使うという
理由で3年生を前に退居した。


卒業後、国分寺には行くことは無かったが、十数年後、近くに出張した際に立ち寄った。
あの家は無くなっていて「Nコーポ」という立派なマンションが建っていた。息子さんの代

になっていて、ご家族の皆さんがお幸せに暮らしていることが想像された。
・・・あの日のことは、今では夢だったと思っている。


(大学時代には、良く勉強した。高校までの受験勉強とは違い、自分の好きなことを
とことん突き詰めて学べるのがとても嬉しかった。講義の合間や終了後は図書館にいた。
大昔の、そんな学生時代に作った詩を紹介します)


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   図書館


夏も終わろうかという その日
昼下りの 図書館は
妙に がらんとして
睡むたげな館員がひとり


いつもの席に座った私は
講義では完了しなかった
教科書のその箇所を
どうしても 読み終えたいと思った


窓の外は
樹々が風にそよぎ
遠くの空には
すうっと 飛行機雲


ぱたんと本を閉じたとき
図書館はひんやりとして
静けさの中 いつもの席には
幸せな時間が満ちていた


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