教皇パウロ6世は毒物を注射され、その毒物は彼を弱め、麻痺させました。そして彼らはパウロ6世の文書と手紙を検閲し、内容に手を加え、全教会のための教えを歪め、捏造しました。


60年代の初めに第二バチカン公会議が開かれた時、彼らの狙いは、新しい改革に先鞭をつけるために教皇パウロ六世を利用しようとすることであった。しかし教皇が彼らの計画に気づき(オッタビアーニ枢機卿の介入によって)、

新ミサに関する彼らの提案を拒絶した時、彼らは彼に激怒し、それ以来彼を罰することをやめようとはしなかったのである。残念なことに、今日、この罰の多くは伝統主義者達から来ている。

(ピオ十世会もその1つです!)




教皇パウロ六世は新ミサの起草者ではない


教皇パウロ六世は、おそらく、自身の臣下によって好き放題に私的制裁を加えられ、また彼らのデザインを推し進める上で彼の名が利用された、史上最も裏切られた教皇であろう。

伝統主義者達の間においてさえ持たれている一般的な間違いは、教皇パウロ六世は実質的にはそれに何ら関わっていなかったにかかわらず、「教皇パウロ六世は公会議後のミサ(ノヴス・オルド)の立案者だ」としていることである。しかし彼は第二バチカン公会議の最後の二年間において実際は新ミサの持つどのような概念にも抵抗したのであって、1965年9月3日にはこう書いている。


どのような個人であれ、おのれ自身を権威として、聖体に関する信仰教義を提案するために、トリエント公会議が用いた公式を修正しようなどとすることは、大目に見られることはできない。


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