父よ彼らを許してください。

彼らは何をしているのか

知らないのですから・・・・。

とイエスさまは、私たちの

罪を神さまが許してくださる

ように祈っておられます。

私はキリスト者となって、罪を意識する

ようになりました。

マリアさまは、私に自己を信頼しないで、

常にイエスさまの強い力を信頼するよう

に教えてくださっています。

私たちの罪はいつも私の前にあります。

この社会では、善と悪の認識、正義という

ものが歪められ、正しい判断が出来ない

からです。

イエスさまが私たちのために、神さまに祈り

「彼らは自分たちが何をしているのか分から

ないからです。彼らの罪を許してください。」

と、言っておられるのは、私たちが神さまの

恵みを失い、自分を滅ぼす悪魔に向かって

進んでいるからです。

意識しないで、無意識のうちに・・・・・。

多くの方は、私と同じように、罪の意識が失われ

ているのではないでしょうか。

それで、今日は救いのために、少し厳しいことを

お話したいと思います。

性の罪を考えてみましょう。

日本はキリスト教国ではないので、性の自由が

謳歌されていますが、果たして良いのでしょうか

今日では、小学生から性交が行われ、子宮頸がん

の予防ワクチンを薦めています。

私たち大人が性を自由化して、快楽がよいこと

であるかのように錯覚しているからです。

私は、間違ったことばかりして、罪を犯して生きて

来ましたので良く分かるのです。

人間が欲望の中でも最も弱いのが、性の誘惑で

あります。

この性の快感が脳を麻痺させて快感に依存して

しまうのです。

悪魔は人間の最も弱いところを知っているので、

性の罪に誘惑してきます。

私たちは、性の罪を犯しても法律で罰せられる

ことはないので、大胆に罪を犯してしまうのです。

これが人間の心の闇となり、この闇から抜け

出すのが至難の業であります。

この快感は、覚醒剤や麻薬のようなものです。

覚醒剤などは法律で、罰せられていますが、

弱い人間は、悪魔の誘惑に負けてしまいます。

一度、覚醒剤に手を出した人が、厳しく罰せら

れて、再び手を出すのは、悪魔の誘惑による

ものです。多くの人は自己を信頼して、自分の

力だけで、悪魔の誘惑に打ち勝とうとして失敗して

しまいます。

敵はこの世の神、欲望の支配者で人間を罪で

コントロールしている悪魔、悪霊であります。

人間の力で勝てるはずがありません。

私は覚醒剤の経験はないのですが、人は自分

が経験がないので、一度辞めた人が再び手を

出して検挙されると、多くの人は批判するのです

が、辞める決心をしても、心のすきを狙って、

悪魔に誘惑されると、人間の力では負けてしまい

ます。

イエスさまに、助けていただかない限り、悪魔に

打ち勝つことはできないと思います。

この覚醒剤を性交に置き換えて考えて見ましょう。

性交には、法律の規制もなく、私たちには

罪の意識もありません。

これが、悪魔の付け狙うところであり、人間を

滅ぼすものです。

この性交の自由が人間の精神を堕落させて

覚醒剤などよりも、心と体を蝕んでいるのです。

私たちは、間違った考えを受け入れ、正しい

判断が出来ません。

それは、心の中に神さまの律法が刻まれて

いるのですが、良心が病んでいるからです。

イエスさまは、はっきりと言われます。

「私の正しい教えがなければ、あなたたちは

間違った教えの奴隷になる。」

マリアさまは、ファチマで三人の子供たちに

ご出現されて、子供たちに罪びとが堕ちていく

恐ろしい地獄をお見せになりました。

そして、子供たちに理解できない性の罪を話さ

れて、その罪のために多くの人は地獄で滅びる

ことを教えて、人びとを救うために子供たちに、

犠牲を求められました。

子供たちは言いました。

「マリアさまは、なぜ罪びとに地獄の火の恐ろ

しさを見せないのでしょう。これを見ると人びとは、

罪を犯さないはずです。」と、

それは、神さまは愛であるから、地獄が恐ろしい

から罪を犯さないというのは、神さまのみ胸では

なく、神さまへの愛が欠如するからです。


日本の演歌には、「たとえ地獄に堕ちても二人の

愛を貫く・・・。」などの歌詞がありますが、いかに

性の欲望が強く、地獄の火さえ恐れないというほど、

悪魔は人間を盲目にしてしまったようです。

人間の罪は、悪魔の性の誘惑から始まりました。

神さまは、人間に性交なくして、先祖に子孫を増や

すことがお出来になったからです。

神さまは楽園で、先祖に命令されました。

「その悪の実を口にするな。それを知るとあなたた

ちは死ぬから。」と、けれどエバはその木の実を

好奇心で見ていると、蛇の姿をした悪魔がやって

きて、「神の言うことなど、信用するな。」と言って、

エバを性の罪に誘惑しました。

人間に性交を教えたのが悪魔であります。

エバは、その快感が捨てがたく、

神さまの所には戻らないで、アダムを誘惑します。

アダムはエバの罪を知りながら、彼女をかばいます。

そして、二人で罪を犯しました。

神さまが来られると、自分たちが罪を犯したので、

隠れようとするのです。

神さまはアダムに言われます。「なぜあなたは

私の言ったことを守らなかったのか。」と、

するとアダムは神さまが恐ろしくなって、言います。

「この女が食べろと言ったので、私は食べました。」

すると、神さまは女に「あなたは何ということをして

しまったのか。」女は、言います。

「蛇が私に食べるように言ったので食べました。

あなたは、なぜ蛇が楽園に入ることをお許しに

なったのですか。」

アダムは、エバを愛していましたが、罪を犯すと

自分の罪をエバの責任にします。エバも同じよう

に、蛇の責任にし、その責任を神さまに押し付け

ようとしてしまいます。

私たちと似ていませんか?

人間が罪を正当化するのは、先祖に由来して

いるのです。

今日、検事の改ざんや隠ぺいの事件は、私た

誰もが、行うことではないかと考えています。

改ざんした人も、正直に言えなく、それを聞いた

上司も彼をかばうために、隠して正直になれません

でした。こうした心の弱さは私たちの内にあります。

悪魔というものは、罪を隠すように誘惑してくる

のです。正直になろうと思っても悪魔の力に

負けてしまうのです。

それで悪魔に同意し、私たちは自己を正当化して

しまいます。