https://magazine.hitosara.com/article/462/

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ウァレンティヌス(羅: Valentinus, ? - 269年頃)、あるいはヴァレンタイン(英: Valentine)は、3世紀頃のキリスト教の聖職者。正教会・カトリック教会・聖公会・一部ルーテル教会で聖人とされている。

ウァレンティヌス
殉教者
生誕
?年?月?日
死没
269年頃
イタリア・ローマ
崇敬する教派
カトリック教会・聖公会・正教会・ルーテル教会
記念日
2月14日

記念日は2月14日[注釈 1]。


西ヨーロッパ、西方教会においてはこの聖人への崇敬が基になってバレンタインデーの習慣が定着したが、東方教会には恋人とウァレンティヌスを結びつける習慣は生まれなかった。記念日・記憶日なども教派により異なっている。

カトリック教会においては、「聖バレンチノ(ヴァレンタイン)司祭殉教者」と表記される。バレンチノはイタリア・ローマの司祭である。当時はローマ皇帝クラウディウス2世のキリスト教迫害下であったが、人々を助け導き、熱心に宣教活動を行っていた。キリスト教の信仰を捨てなかったために絞首刑に処せられたとされる。バレンチノに関する伝説は複数あり、ローマ殉教録によると、この日に同名の司教が殉教している。複数の伝説や奇跡などが重なり、細部が異なって伝えられているとされる[1]。

カトリック百科事典によれば次の3人の像が重なっていると見られている。

ローマの司祭
インテラムナ(現イタリアのテルニ)の司教(主教)
ローマ帝国領アフリカの殉教者(致命者)
3については分かっていないが、1と2の2人はいずれも3世紀後半に殉教したと見られている。一説によれば、269年2月14日キリスト教の信仰を捨てなかったために絞首刑に処せられたという。彼についてのエピソードには、次のようなものが伝えられている。

皇帝クラウディウス2世は戦士の士気の低下をおそれて兵士たちの結婚を禁止した。ウァレンティヌスはこの禁令に背いて恋人たちの結婚式を執り行ったために捕らえられ、処刑された。

ウァレンティヌスは、結婚したばかりのカップルに自分の庭から摘んできたばかりの花を贈った。
監獄に居たとき、看守の召使の娘は目が見えなかったが、監獄のウァレンティヌスを訪れては説教を聞いていた。あるとき娘の目が見えるようになった。この奇跡を信じた彼女の家族がキリスト教に転向したため、皇帝は怒って彼を処刑した。処刑の前日に彼がこの娘に宛てた手紙には「あなたのウァレンティヌスより」と署名されていた[2][3]。



バレンタインデー

詳細は「バレンタインデー」を参照

ウァレンティヌスは、恋人たちの守護聖人として崇敬されてきた。また彼の殉教の日、2月14日は彼の名をとって、バレンタインデーとされている。ウァレンティヌスの日が祝われたのは496年からとも言われているが、これらのエピソードが語られ始めたのは中世のことである。起源はよく分かっていないが、14世紀から15世紀のフランス語、英語で書かれた詩や文学に聖ヴァレンタインの日と恋人たちが関係付けられて登場する。




バレンタインデー(英: Valentine's Day)、または聖バレンタインデー(バレンタインデー)・セイントバレンタインデー(英: St. Valentine's Day)は、キリスト教圏の祝いで主に欧米で、毎年2月14日に行われるカップルが愛を祝う日とされている。家族や親友などと祝う人もいる。

元々269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した「聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日」だと、主に西方教会の広がる地域においてかつて伝えられていた。

この日は、キリスト教圏では一般的に恋人や家族など大切な人に贈り物をすることが、習わしとなっている。

非キリスト教圏である日本においては伝統的に「女性が男性にチョコレートを贈る日」とされてきた。一方それに対して国内で批判や不満もあり[1]、日本におけるバレンタインデーの様相も変わりつつある[2]。

日本や中国大陸、台湾、韓国では、バレンタインデーに派生して「ホワイトデー(英: White Day)」が存在する。