聖人カレンダー
12月31日 聖アントニオ(パドバ)
司祭教会博士
1195年-1231年


 ポルトガルのリスボンに生まれた。15歳のときにアウグスチノ会に入り、司祭となったが、アフリカ宣教の望みを抱き、長上の許可を得てフランシスコ会に入る。殉教の覚悟でアフリカのモロッコに渡ったが、まもなく病気になり、帰国した。その後、フォル市郊外のモンテ・パオロで、修道司祭として生活した。あるとき、市の新司祭の祝賀会の席上、アントニオは長上から即座に演説を命じられ、よい話をした。これを機に説教家として彼の才能が認められた。イタリアやフランスを巡って福音を伝え、多くの人々を回心に導いた。

 36歳の若さで亡くなり、その遺骸はパドバの聖堂に安置された。その墓で多くの奇跡が起こったといわれている。

 アントニオは、紛失物を捜すときの助け手、婚姻・花嫁の守護の聖人として知られている。
  「毎日が、あたかも最初の日であるかのように思って行動しなさい。
   そして、あなたが始めた最初の日と同じ熱意をもって、
   常に行動しなさい」(聖アントニオ)

12世紀末ポルトガル・リスボン生まれ。聖アウグスチノ修道会に入会し司祭に叙階されましたが、アフリカで福音宣教するためにフランシスコ会へ移りました。しかし、アフリカに長くとどまることができず、フランスとイタリアで説教活動に従事しました。多くの人を回心へ導いたと言われています。また、フランシスコ会修道士に進学を教える教師でもあり、優れた人物でもありました。1231年にパドバにて帰天。墓の近くでは多くの奇跡が起こったとされています。紛失物を探すときの守護聖人としても知られています。「パドアの聖アントニオ」の呼び名でも親しまれています。

本名はフェルナンド・マルティンス・デ・ブリャォン(Fernando Martins de Bulhão)といい、リスボンで貴族の子として生まれた。そのため、リスボンのアントニオとも呼ばれる。アッシジのフランチェスコに共感し、彼の創設したフランシスコ会に入会。イタリアや南フランスといった地域を巡り、精力的に活動するも、パドヴァ近郊で病没した。未だ30代半ばであった。説法に優れ、生前から民衆にも大変人気のある人物であったという。彼が死んだとき、天使たちが舞い降りて町中の教会の鐘をひとりでに鳴らしたとも言われている。彼の絵画や肖像では、幼子のキリストを抱き、本とユリの花、パンがともに描かれている。祝日は6月13日。パドヴァ、ポルトガル、ブラジルの守護聖人。





幼いキリストを抱くパドヴァの聖アントニオ、フランシスコ・デ・スルバラン画



たまたま、今日教会に行った時に、メダイを売っていたので、購入し、祝福していただきました!