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臨終洗礼というのは神父さまでなくても、どなたでも授けることができるのですが、実際に臨終洗礼をなさった経験がある方というのは、信徒の方でも、それほど多くはないと思います。






カトリックの洗礼というのは、通常、「入門講座」でキリスト教についていろいろと学び、本当に、信じることができるかどうかを確認します。この期間は個人差があり、最低でも半年以上、長い方ですと2年程度は必要です。

ですけど、緊急洗礼として、間もなく主の元へと旅立とうとされている(亡くなる直前の)方に対しては、時間的な余裕がありませんから、神父さまでなくても、どなたでも(カトリック信徒でなくてもかまいません)洗礼を授けることができます。これはあくまで、緊急という「特例」です。但し、洗礼を与えた方が神父様へ報告することが必要になります。

できることなら、臨終洗礼を受けられる方に、そのような気持ちがあるのかを事前に聞いておくといいです。私の母の場合には、母自身が子供のころに教会に行っていて、こっそり聖書を読んでいたことを聞いていました。そして、私が教えたわけでもないのに、「主の祈り」をすらすらと唱えられました。このことがほぼ確信を持てる決め手になりまして、臨終洗礼を授けることには問題はないと判断しました。

この臨終洗礼は、亡くなる前の危篤状態になった時点で授けることができます。極めて稀にですが、危篤状態から、奇跡的に回復なさった場合でも、その洗礼は有効になります。教会で聖体拝領が可能な状態にまで回復したら、通常の洗礼を受けた方と同様に聖体拝領も可能になります。

また、臨床的に死亡診断が出ても、体温がある、つまり体が温かいうちであれば、臨終洗礼は有効です。

「我、父と(ここで水を1回)、子と(ここで水を1回)、聖霊のみ名によって(ここで水を1回)、汝を洗す」と唱え、そのことを、洗礼を行った最寄りのカトリック教会に報告します。洗礼名は「我、......」と唱える前に洗礼名を唱えるか、後日、洗礼名を与えてもいいです。

この際に用いる水は、聖水でなくてもかまいません。水道水などでもOK。砂漠の戦場などのような、わずかな水すら貴重だという状況下では、洗礼を授ける方の唾でも構わないとされています。

緊急時の洗礼というのはあくまで、特例で、なんとか、神の救いに授かれるようにという、神の広いみ心によるものなのです。

臨終洗礼の授け方
2012/09/18 17:03:09 心と体
最近、次から次に事故が起こり、また地震や洪水など自然の災難も次々に起こり、死者や負傷者が大変多くなりました。キリスト信者は自分の周囲に死にかかっている人がいましたら、どうしてもその人の霊魂を救うように努力しなければなりません。

イエズス・キリストは「全ての人に福音を述べ伝えなさい」とお命じになりました。現代の多くの人はあまりキリストの教えに興味を持っていないようですが、苦しい時、また死に臨めば非常にまじめに考えるようになり、自分の過去の罪を痛悔し、洗礼を受けて安らかにあの世に出発する方も数多くあると思います。

臨終洗礼は教会の神父ばかりでなく、一般の信者の方もたやすく授けることが出来ますから、どのように洗礼を授けるか、また洗礼を授ける前に何を教えねばならないかを知っておく必要があります。

臨終洗礼を授ける前に教えねばならない事柄は、唯一の神の存在(神は御一体であるのに三位である事)。 霊魂の不滅、死後の賞罰、イエズス・キリストは神でありながら人となって生まれ、十字架上で苦しんで私共の犯した罪を贖って下さった事。罪の赦しを受けて天国に入るためには、どうしても自分の犯した罪を痛悔して洗礼を受けねばならない事。これだけを簡単に説明したら、聖水がなければ普通の水でもかまいませんから、額に水を注ぎながら唱えます。

「我、聖父と聖子と聖霊との御名によって、汝を洗う。」

時としては、洗礼を受けていない人でも他人に洗礼を授ける場合があります。私の知っている求道者の方は、ある結核療養所で、自分の部屋の一人の方が突然喀血した時、急いで洗礼を授けました。後で私は調べましたら、その求道者の洗礼を授ける仕方は正しいものでした。有効でしたから、新たに洗礼を授ける必要はありませんでした。

臨終洗礼あるいは年寄りの方に洗礼を授ける時に注意すべき事は、あまりに長い不必要な話をしない事です。私は多くの方に臨終洗礼を授けた事がありますが、準備の話は病人の状態によります。重症の方は10分以上話せば逆効果になります。病院においても10分以上話す事を禁じられる場合があります。私も重病の時、お客さんが10分以上話しましたら大変疲れて、早く帰ってほしいと思いました。

洗礼の準備はなるべく短くして、必要な事柄だけを話して、不必要な事を言わない事が何より大切だと思います。日本人はほとんど100パーセントまで霊魂の不滅を信じていますから、そのことについて詳しく説明する必要はありません。一番大切な事は、罪を痛悔する事です。人を憎んだり、うらんだり、嘘をついたり、あるいは堕胎の罪を犯したり、そのような自分の犯した罪を全部、真心こめて痛悔して、”神様、どうか私の罪をお赦し下さい”と言わせたら良いのです。また”イエズス様がおっしゃったように、他人を赦さなければ自分の罪も赦されませんから”と説明すればたいていその通りにします。

洗礼を授ける時に霊名を先に言います。私は普通臨終洗礼の場合、男だったら「ヨゼフ」、女だったら「マリア」と言う名をつけます。

”ヨゼフ、我、聖父と聖子と聖霊との御名によって汝を洗う”と水を注ぎながら唱えたら、その方の罪は勿論、その方の罪の罰までもきれいに赦されます。

場合によっては、神父に臨終の洗礼を頼まないで、自分で洗礼を授けた方が良いと思います。神父を呼ぶのに非常に面倒な場合がありますし、また病人の周囲が理解しない場合もあり、また時間もかかりますから自分の手で洗礼を授けるのが一番簡単と思います。なるべく危篤にならないうちに、その方の意識があるうちに洗礼を授ける方が良いのです。早いほどよろしい。

洗礼を授けてから、聖母のスカプラリオ、メダイ、あるいはロザリオなどを差し上げたら大いに役立ちます。

近い将来この国(注:日本のこと)においても、災難が増えると思います。その時カトリック信者は、自分の親戚、友人、あるいは知らない人の霊魂を救うために奔走しなければならないと思います。ただ一人の人でも霊魂を救いましたら、その救われた人はいつまでも天国において、あなたに感謝することでしょう。

(あるアメリカ人の神父の手記より)


管理人:

戦場において、隣の同僚が死にかけている時など、早急に洗礼を授ける必要がでてきます。水がない時には、唾で代用します。

私のイタリアの神父様は、エボラ失血熱が流行った時、アフリカでした。連日、洗礼を授けて回ったとおっしゃいました。もちろん、一人一人に神の事、罪の事を話す余裕はなかったと思われます。自分にうつることも省みずでの行動です。

それに比べて、日本人にはエイズ患者が多いとのたまい、舌での聖体拝領を嫌う神父様もいます。何たる器の小さい神父様であろうか。

なお、私の神父様は、死んでもまだ身体が温かい内は洗礼を授けてもよいとおっしゃいました。

カトリックの中には、臨終洗礼が家族、親戚、友人を天国に送る最後のチャンスだと、常日頃から準備している人もいます。