東京にあるカテドラル聖マリア大聖堂の敷地内にルルドの泉が再現されている事は先日お伝えしましたが、長崎の本河内にある聖母の騎士修道院にも日本のルルドと言われているルルドの泉が再現されている場所があり、こちらは本当に泉もあり、本家フランスのルルド同様に奇跡的な病気の治癒なども報告されていて、法王ヨハネパウロ2世が来日された時もここを訪れた事で有名な場所です!


⭐聖母の騎士修道院や聖コルベ記念館がある敷地の裏山には、コルベ神父が開いた本河内ルルドがあるという。聖母の騎士学園横の坂道を上っていく。本河内ルルドをめざす

聖コルベ記念館を出て、聖母の騎士学園の横の坂道を上っていくと、緑に囲まれた本河内(ほんごうち)ルルドにたどりつく。ここは教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れたバチカン指定公式巡礼地である。コンベンツアル聖フランシスコ会のコルベ神父は1930年に長崎にきて聖母の騎士修道院を作り、6年後に祖国ポーランドにもどるが、アウシュビッツの収容所で身代わりとなってなくなった。コルベ神父がフランスのルルドに似た洞窟を本河内の修道院の近くに見つけ、神父がポーランドへ帰国後、ルルドができた。1981(昭和56)年来日の教皇ヨハネ・パウロ2世は同郷のコルベ神父ゆかりの本河内を訪れ、1982年にコルベ神父は聖人となり、ルルドは神父ゆかりの巡礼地となった。下には、コルベ神父と神父と共に来たゼノ修道士の功績を紹介する聖コルベ記念館聖母の騎士のルルド


⭐聖者コルベの贈り物




聖者コルベ神父は東洋宣教への途上、ルルドへ参詣し、東洋に聖母のほまれのためルルドを開く決心をたてた。




キリシタンの街・長崎市の山手に、聖母の騎士修道院がある。ここは、第二次大戦中、西欧アウシュビッツ収容所にナチス・ドイツ軍から連行され、一人の若い父親の身がわりとなって隣人愛に殉じた聖者コルベ神父(ポーランド人)が開いた修道院である。




修道院の白い教会から二百メートルほど急な坂道と石段をのぽりつめるとルルドがある。百坪ほどの平地で、一隅は高い岩板になっており、洞窟に美しい聖母マリア像がある。足もとに清水が湧き出ている。




昭和八年(1933年)、聖者コルベ神父は日本人への贈り物としてルルドを残した。以来、聖母の騎士のルルドは長崎近郊のカトリック信者の参詣地となり、聖母マリアに祈る人が絶えない。




ルルドへ至る坂道は四季とりどりの花が咲き匂う。ルルドの聖母出現の祝日(二月十一日)前後に梅が咲き、桜、つつじ、秋は紅葉と、自然界は聖母を賛美する。ルルドからの長崎市内の遠眺がまた見事だ。




市内でもこんなに木が繁り、静寂な所は少くなった。聖母の騎士のルルドをたずねた、俳人・水原秋桜子さん(芸術院会員)は、一句読んだ。




おん母の 恵みか冬の 八重椿




聖母の騎士修道院シリーズ「ルルド」より。











❁(この聖地もおそらく日本沈没があっても残る場所の1つと思われます!)