こんにちは、
函館まちあるきガイドの
土田尚史(つちだたかし)です。
3月21日は、
函館にとって忘れられない1日です。
昭和9年(1934年)3月21日、
夜6時53分、
函館山の麓にある住吉町にて
火災が発生しました。
その火災は強風にのって燃え広がっていき、
当時の函館市内の
1/3が被害にあったともいわれています。
市内にある緑樹帯(グリーンベルト)と広路は、
防火帯の一部としてつくられたものです。
函館山山頂から眺めると、
街中に
緑が盛り上がっているところが見えますが、
そちらが緑樹帯です。
防火帯といえば、
二十間坂(にじゅっけんざか)も
忘れてはなりません。
函館の大火は昭和9年だけでなく、
明治時代から昭和の初期にかけて
何度も発生し、
そこから、街区整備が行われていきました。
二十間坂は
明治12年の大火後に整備されたものです。
二十間坂沿いにある「東本願寺函館別院」。
大正4年に建立された
日本で最初の
鉄筋コンクリートで作られた寺院ですが、
こちらもやはり
耐火性の建物としてつくられました。
よく、まちあるきガイドをして、
お客さまから聞かれるのが
こちらの黄色い消火栓。
外国の消火栓を参考に
函館市が設計したもので、
取水能力が大きく、
三方から大量放水できるようになっています。
3月21日、
函館にとって大事な1日です。
少しでもこのようなことを
知っていただければと思います。
ヘバ、ナイスデイ!!
(Have a nice day!!)
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