26日の金曜日、病院へ行ってきた。

月1回の通院日である。


ついでに、日赤へ行って、

障害者年金を申請するための、

初診証明書を書いてもらってきた。

しかし、まったく役に立たないものになってしまった。

代金の3150円も捨てたようなものだ。

初診日は昭和57年の7月2日になっているのだが、

その頃、僕は国民年金の保険料を納めていなかったのだ。

これでは申請することはできない。

日赤へは、かなり年月を空けて何度か行っている。

証明書の終診日も昭和60年の9月26日となっている。

その後も、平成元年と、平成11年に診察を受けている。

それが再診になるのだろうか?

平成元年か11年を初診日にしてもらえないか聞いてみたが、

だめだと言われた。

今行ってる病院の先生の息子だから、

もう少し融通が利くのかと思ったが、甘かった。

医者というのは患者のことを第一に考えるものではないのか・・・?

杓子定規に書かれたのではたまったものではない。


実はその医者、今行ってる病院で、木曜だけ診察している。

はっきり言って、もうその病院でないといけない理由はなくなっているのだ。

開院当初の看護婦さん、受付嬢は誰一人いない。

今の病院へずっと続けて行っていたのは、

先生がいいこともあるが、

看護婦さんが天使のような人だったからなのだ。

注射がめちゃくちゃうまかった。

跡が残るからと、けっして同じところには針は刺さなかった。

いつもにこにこ話しかけてくれて、心を和ませてくれた。

受付嬢も、完全に僕のことを覚えていてくれて、

送薬の以来の電話をしても、すぐわかってくれた。

今の受付嬢はカルテを取り出さないとわからない。


そろそろ転院時かなと思う。

次どこへ行くか、今考え中である。

候補は3箇所ある。

来月今通ってる病院へ行った時、

金がないのを理由に転院を申し出てみようと思う。


障害者年金は諦めるしかない。

最後に、今の病院の初診日で、

初診証明書を書いてもらえないか聞いてみる。

だめなら、諦めるしかない。


誤算続きで、3月以降の収入のあてがなくなった。

来月の通院日に、職安に提出する診断書も書いてもらうが、

病気退職が認められるかどうかだ。

病気退職が認められれば、すぐに失業給付がもらえるので、

少しは楽になるのだが、

2月末から最初の失業給付がもらえる時までどうやって過ごすかだ。


今の俺には、相談相手も、支えてくれる人も誰もいない。

突発的に自殺を図っても不思議ではない。

だが、生来の負けず嫌いが幸いしているのか、

実行に移すことはなかろう。

このままでは終われん・・・。