僕が海外旅行行って、テロリストにつかまってしまう。
彼らは超過激派。
世界中に生中継で、捕まえたやつを殺していく。
(ここはリアルティについてあまり深く考えない)
しかし、なんとか彼らに譲歩してもらい、殺す前に
10分間世界に向けて何でも話していい権利をもらう。
そこで、僕はいったい何を話すのだろう。
ってのを何回か最近考えた。
自分の死が前提で、
普段いっても聞いてもらえないことを確実に聞いてもらえる。
しかも世界中に。
正直、その時になってみなければ、何を言うかわからないってのが
もっとも確実な答えだろう。
しかし、今自分が言うだろうと想像することは、
<世界平和への叫び>と<家族への感謝>だろうかと思う。
10分間にこれだけは詰め込むと思う。
たぶん、この2つが今自分の命と置き換えられるものなのだろう。
ん~やっぱわからんくなってきた~。
でも、確かなのは『今』の自分は社会的な意味を持ったような死に方をすることでしか、
自分の周り以外のその他大勢の人々に話を聞いてもらえないちっぽけな存在だということ。
たくましくならなければいけない。
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話は違うが、いつも頭の片隅に入れていることがある。
それは「死」と「身体的満足の欠如」である。
いつ死ぬかわからない、いつ足がなくなるかわからない。
この意識は常に頭のどっかにある。
だからこそ、今にたいして、全力でなければならないと思う。
学問に対しても、遊びに対しても、好奇心をくすぐることに対しては素直でなければならない。
そうしてれば、失くした財布分の価値も、すぐに戻ってくる。
The positive is the best medicine.