楽観主義と悲観主義の一番の違いは、

人を惹きつけるかどうかだと思う。


双方に関して、尊敬することはできる。

尊敬とは対象者の行動によって、自己の中でおこるものだと勝手に思ってる。

だから、楽観者であれ、悲観者であれ、自分の目を引くような行動をしていれば、尊敬ができる。



しかし、行動への根本的な考え方が違うのかな~と勝手に思う。


●楽観者

自分がこのようにすれば、誰かの、あの人のためになる。

→だから、こうのような行動をとろう。


●悲観者

自分がしなければ、誰かが、あの人が嫌な思いをする。

→自分も嫌な思いをする。

→だから、このような行動をとろう。


ん~なんか違うようなズれているような感じでもあるが、こんな感じだと思う。



楽観者に対しては、尊敬が生じると同時に憧れが生じる可能性がある。

悲観者に対しては、尊敬が生じる場合はあるが憧れにはなりえない。

と僕はある。

そもそも、自分の中の尊敬と憧れの概念が周りと違えば、何言ってんだって話だと思う。


勝手ながらもこんなことを思っている。



PS

さっきボランティアサークルの人が部屋に勧誘にきた。

そこまで、人足りねーのか!?

彼らは「社会に出た時に通用するためにボランティアやってるから、どう?」

みたいな感じのことを行ってきた。


すごく思ったのは、彼らは精神的に優れた人=社会で通用すると思っているんだろうな。

確かに必要な要素だと思うけど、それはボランティを通してというよりは

普段の生活の中で意識し続けることで徐々に身についていくものだと思う。

むしろ、積極的に取り組んでいくのは能力的な要素の向上であると思う。

これを身につけるためには積極的にならざるを得ないからである。


要するに、ボランティア活動をする理由のはき違えてるのと、

視点が違うんじゃないかと彼らに言いたかった。


これもまた、勝手ながら思ってしまった。