ふと、「壁は壁でしかない」と浮かんだ。
特別、そう思わされる体験をしたわけじゃない。
おそらく、そんなそんな風に深い部分感じていたことが
急にでてきたんだろうな。
といっても、「壁は扉だ」っと言う名言を否定するわけじゃない。
結果、言おうとしてることは同じようなことだと思う。
壁は壁。
いろんな壁があると思う。
・手で押しただけで、壊れてしまうような壁。
・少し横に歩くと穴があいてる壁。
・向こう側の様子が見えてきそうな壁。
・上を見ても、横を向いてもとても崩せそうにない巨大な壁。
などなど、いろんな壁が存在し、その時によって、形を変えて僕の前に立ちふさがる。
すぐに、自力で突破できる壁もあるだろう。
裏ワザ使って突破できるような壁もあるだろう。
しかし、現段階でどうもできない壁は存在する。
そこにドアノブなんて、いっくら探してもなく、
どのくらい巨大かさえ分からない壁にぶち当たることもあるだろうな。
しかし、ほとんどの場合、ある程度の期間を設けることで突破は可能である。
・まずは壁の大きさや性質などを知る。
これにより、やっと壁を全体像を知ることができ、向きあうことができる。
・どうすれば突破できるか思考する。
向き合った結果、精神が屈しなければ必然とこうなる。
・突破の方法を実行する。
たえなない努力、忍耐が必要である。
信じるしかないと思う。現実を精神と向き合う。
・壁を突破する。
今までの自分にはなかったものをひっさげ、いざ挑まん。
過程に間違いがなく、それをぶつけることができれば、突破はたやすいだろう。
壁は壁であるからこそ、意味があると思う。
いつまでも、同じ自分のままで、壁の周りをうろついてもしかたない。
そこに、偶然ドアノブを見つけても、結局なにも得られない。
壁を突破するための力を手に入れることが求められている。
実際の壁であるならば、ハンマーを扱える力を、
戦車を動かせる力を、民衆を動かせる力を得なきゃいけないんだろうな。
おそらく
壁は扉だ。ってのは
あきらめずに頑張れみたいなことを言ってるんだろうから、なんら違いはないんだろうな。
でも、自分は壁は壁のほうがしっくりくる。
おれは、壁にぶち当たるまで、さまよう。
目が悪いから、見えてないないだけかもしれないが。