屋内ではなく、戸外に出て、木陰で涼をとるのがいいと思うのですが、近くにそんなところはなく、お休みの時間はついつい模型づくりに励んでしまいます。
電車の台車からの改造を終え製作の目処のついたDF50は、搭載するモーターをどうするか、模索中で一時中断してしまいました。
その間に、家の中から出てきた走行不可の宮沢模型のC58を整備することにしました。
宮沢模型のC58については、前に門デブ付きの363号機への改造をして記事にアップしたことがあります。
万能型と言われ、国鉄に最後まで残る形式になるのではないかと、予想する向きも多かったC58ですが、予想は外れて、国鉄最後の蒸気機関車は、なんと夕張線の9600形、大正生まれの古豪でしたね。
宮沢模型は、これ1台あれば、「SLを持っている!」と胸を張って言える形式として自社製品として選定し長く生産を続けたので、模型界での配置数は相当なものではなかったかと思います。
当然、中古製品が出てくる率と高く、改造ネタとして扱うモデラーも大変多い機種です。
しかし、この暑さでは、集中力も途切れがちで、あまり手を入れることはせず、塗装の状態が良好なので、そのまま調子を整えて復活させてあげることにしました。
下回りも、上回りとのバランスをとるため程度のパーツの追加をしますが、追加パーツを接着剤で本体に付けるだけにとどめ、パイピングは一才しないということにします。
具体的には、モーターの搭載、テンダー台車の取付、石炭を載せる、従台車の加工及び、キャブ下のディティール追加です。
従台車は、台車枠の片方が取れてなくなっていて、別に新たに調達しなければなりません。
オリジナルの宮沢のC58の先・従輪は、φ9.5mmの両絶、プレーン車輪が装着されています。φ9.5では貧弱な感じがしますので、スケールのφ10.5に変えられるのは好都合です。
とにかく、従台車を一から作るなどということは無理な相談なので、使える製品が売られていないか探しました。
安達のC57用があればなんとかなりそうと思っていたのですが、残念ながら売り切れになっていました。
ところが、幸いなことに、少し前に再販売されたKATOのパーツが分配されていました。
ただよく見ると、宮沢模型の従台車では、担いバネがついていません!
これではキャブ下回りがスカスカです。
#16のSL模型では、多くの場合、従台車と担いバネ、主台枠後部が一体構造になっていることが多いようです。
急カーブを回れるよう主台枠後部も回転するのは、本来おかしなことですが、模型化には仕方がない処理です。
また、宮沢製品では、主台枠後部がアーチ状にえぐられて、「逃げ」を設けて従台車のフリー化を得ています。
ここで、KATOのD51の主台枠後部は「どのような構造になっているのだろう?」と好奇心がムクムクと持ち上がってきましたが、だから「買ってこよう」とおいそれと買えるものではありません。
これは、後々の研究課題としてとっておき、とにかくKATOの従台車に担いバネを取り付けることにしました。
手順は写真をご覧ください。
担いバネを貼り付けられるように、真鍮板を組んで裏板を従台車枠上部に接着します。
塗装後に、エコーモデルの担いバネ(上作用)No.1797を接着剤で貼り付けます。
復元バネ等が付けられないので、車軸に鉛板の小片を巻いています。これでも脱線防止には機能していると思われます。
何とか、それらしいものが出来ました。
テンダー式蒸気機関車を模型化する場合、にキャブ下の実物通り、パーツを取り付け、パイピングを施すことは、とても難易度の高い工作だと思います。
しかし、この辺りに全くパーツが無い状態では、あまりにスカスカでお寒い感じが漂ってきます。
「最低限の工作にとどめる」を今回の方針としていますので、公式側、非公式側とも少しだけパーツを加えました。
非公式側では、二子三方コック(中タイプ)エコーNo.1124、給水ポンプチリコシ エコーNo.1113を購入、給水ポンプと0.7mm真鍮線で結びます。(ここだけは、パイピング加工になりますが、ボディ本体等には、アロンアルファーどめにしました。
公式側は、空気分配弁 ウイストジャパンNo.2136を買ってきましたが、どうも思ったものとは違うようで、実物とは違うのはわかっていつつ、90°横にしてハンダ付けした真鍮帯板を介してボディーに接着しました。
長くなりましたので、以下、続きということにさせていただきます。