8月16日(金)~18日(日)今日まで、東京ビックサイトにて開催されている第23回 国際鉄道模型コンベンション」に出掛けた。
前日は、台風7号が関東地方にも大雨をもたらすとの予報を聞いて予定をずらして、行くのは中日の土曜日。
猛暑の中、会場に集まった人には家族連れも多く、残り少なくなってきた夏休みを思い思いに過ごしている様子が垣間見られ、心は少し軽やかになった。
昨夜の台風、それから南海トラフ地震への備えなど憂鬱になる事象があったから。
大きな被害が出なくて良かった。
今年のコンベーションのテーマは「特急列車」。
ブルートレインには、あまり乗車したことがなかったけれど、展示されている写真を見ていて懐かしさが込み上げてきた。
会場を後にして、ゆりかもめの車窓を眺めていて、新幹線の計画運休のこと、のぞみ号が全席指定に設定されたことについて考えた。
80年前の8月9日、長崎に原爆が投下された。
まさにその日に、傷ついた人々を搬送するため、4本の救援列車が炎に包まれた街へ向かった。
最初の1本「311列車」は長崎市の爆心地近くに入り、被爆から3時間足らずで出発したとされる。
「動いている列車をみて、被災され絶望に打ちひしがれていた市民の方々の心に、ほんの一瞬でも、希望が感じられたのではないだろうか。」
この実話を知ったのはかなり以前。
1970年代に、月刊「鉄道ジャーナル」誌において、国鉄の車掌をされていた壇上完爾氏の連載コラムの中で触れられていたのを覚えている。
何としてもダイヤを維持して列車を運行させることこそが、鉄道マンの使命と考えられていた時代だった。
基本のところは、もちろん今も変わらないのだけれど、列車本数がかつてとは比較にならないほど多く、システムも集中管理されていて、機関士と駅員、保線係等とが判断して列車を前に進めるようなことは、もはやできない。
そんなこと、わかってはいるのだけれど、心に引っかかるものがある。
それから、お盆休みの期間、のぞみ号の全席指定とされたこと。
それだと、あらかじめ計画が出来ている旅行客等以外の、当日になって、突然急用のため旅立しなければならない事情が生じた人は、最速列車には乗車することが出来ないということになってしまう。
「公共」交通機関として、本当にそれでいいのだろうか?
では、どうするのが良いのか、難しい問題だと思う。