私のペーパー製キハ82系(1) 〜なんの変哲も無いものですが〜 | 模工少年の心

1961年の運用開始以来およそ20年間にわたり、キハ82系DC特急は全国の非電化区間に羽ばたき続けました。

(日本交通公社発行 1969年3月号 表紙は「特急まつかぜ」の疾走する写真)


少年時代、私にとっても憧れの車両でした。

 

大阪始発、米原から北陸本線に入り日本海縦貫線とも称される、信越、白新、羽越、各線を通り一路青森まで突っ走る「白鳥」にしようか。

 

京都から東海道、福知山線、山陰本線経由で博多まで行く「まつかぜ」にしようか。

 

さもなければ、函館から道内各都市へ向かう「おおぞら」「北斗」「おおとり」にしようか。

 

模型で再現すべく、小遣いを貯めて、ようやくカツミのキハ82、キシ80、キロ80の3両を買ったものの、後が続かず…。

 

それで、増備はペーパー車体ということにして、先頭車のキハ82を1両、小高のプレスボードキットを購入しました。

 

当時は、プレスボードキットを購入するのも資金的に厳しく、後は白ボール紙に木製屋根板の構造、窓抜きをしてポディを作ることにしました。

 

ペーパーでは再現するのが難しいパノラミックウインドウの前面は、真鍮製のパーツを手に入れ、キハ82を2両、キハ80を4両、キロ80を1両と、わずか3ヶ月あまりでペーパー製の車体を7両作り、小遣いが貯まるとはパーツを買い増し作り上げていきました。

 

出来上がった模型を小判型に敷いた線路の上を走り回らせ楽しんだのは当時当たり前の光景でした。

 

しかし、粗製濫造ゆえ愛着も薄く、いつしか台車、モーターなどの部品取りで、次々に廃車となっていきました。

 

一部は静態保存していたので家の中を探したところ、先日、洋菓子の缶に仕舞っておいた3両と、別に面白い木製床板に付けた下回りが見つかりました。




キハ82の愛称表示を確認したら、片方が「おおぞら」、もう一方が「はくたか」。

カツミ製の完成品には、「白鳥」を付けていましたので、自分の思うがままに好きな愛称を選んで付けていたようです。


用いたのは、ヨーコー社のフィルム状のパーツです。

 

先頭車前面の屋根上のクリームと屋根色の仕切りは、カツミ製品に倣って円弧状に塗り分けました。

屋根の色はシルバーではなく、黒を混ぜた、いわゆる黒鉄色です。


ディティールは、思っていた以上に頑張って表現していたようです。

キロ80の水タンクに取っ手が付いています。


車番はメンディングテープに赤インクで書き入れ。屋根上には排気口も。



床下機器なども、カツミ  、小高のパーツを統一感もなく、手当たり次第に取り付けていて、大らかというよりも、行き当たりばったりです。

(下の小高製は良い出来でカツミ  製雲泥の差です)

 

このような、取り立てて誇るべきところのない私のキハ82系ですが、木製床板に付けられた下回りに、面白い装備を載せていましたので、これは次回に紹介させていただきたいと思います。(続く)