奥羽本線福島-山形間の標準軌化工事が進むとともに、90年8月末には板谷,峠,大沢、赤岩の4カ所のスイッチバックが廃止されました。
廃止された後には、上野ー山形ー秋田ー青森を結ぶ列車のルート変更が待っており、奥羽本線沿線の方はもとより、全国の鉄道ファンの注目するところとなっていました。
〖同年9月1日からは、昼行特急つばさ号は、廃止。かわりに、仙台ー山形間には、仙山線経由の快速列車が増発されました。
上野ー青森間の夜行列車は、あけぼの号が、陸羽東線経由、羽越本線経由(鳥海に改称)、仙山線経由(臨時列車)3系統の列車に変わりました。
急行つがる号は、14系客車から583系電車に変更、仙山線経由の列車になりました。〗
このようなターニングポイントにあたる1990年9月1日を前に、多くの人が惜別の思いを抱いて現地を訪れたことと思います。
だだ、この仙台発455系「さよならスイッチバックYOU・誘・遊号」の乗客の方々は、東京方面から訪れるファンとは、少し違う受け止めのようでした。
列車は羽前千歳で奥羽本線に合流、山形を過ぎ、米沢を経て、大沢駅に到着。
大沢は、山形側から入って最初のスイッチバック施設のある駅です。
まずこの駅を見学しました。
管理する米沢駅の判断でしょうか。その辺りの命令系統は分かりませんが、とにかく粋な計らいだと思いました。
乗客は列車を降りて、思い思いに電車や駅名標をバックに記念写真を撮っていました。
「さよならスイッチバック」と銘打っていても、寂しいとか、悲しいとかいう感情は、ほとんど見受けられません。
乗客の多くは、山形県や宮城県の方と思われ、楽しい夏の思い出を残すのが目的のようでした。
大沢駅から峠、板谷と続く3駅は、どの駅も豪雪からポイントなどを守る目的でスノーシェルターが作られていました。
続いて、2番目のスイッチバックとなる峠駅です。
峠駅では、スイッチバックの廃止を惜しむアドバルーンが上がっていました。
峠駅が作られたのは、蒸気機関車の時代に、厳しい峠越えに機関車への給水が必要不可欠だったからです。
峠駅には、力餅という名物が売られていますが、給水に使われた川の水を力餅にちなんで、力水と銘打ち、ホームに設置された水栓から提供できるようになっていました。旅人には、飲用として、洗顔用として重宝されたそうです。
そして、最後の見学となる板谷駅。
板谷駅と峠駅の間が吾妻連峰の分水嶺になっていました。
山並みが背景に写り、峠駅から随分と下に降りて来たことが分かります。
4番目のスイッチバック駅である赤岩駅の見学は、ありませんでした。
この駅は乗降客もほとんどないため、2017年からは通年通過駅になってしまいました。
車内には、仙台からMISS AOBAのお二人、爽やかな若い女性が同乗されていました。
この臨時列車の全体から受ける印象が、じめっとした「お別れ」ムードではなく、サラッとしているのは、「スイッチバックがなくなった後も、仙山線でつながる仙台-山形間の交流を深めましょう。」という仙台からのメッセージもあると思われます。
そんなこともあって、全体に、この記念列車は、和気あいあいとした雰囲気で包まれ、いつのまにか、一人旅の自分も、その中に溶け込んでいました。
このように、地元の山形県の方がのんびりとした気分でスイッチバック廃止を受け止めることが出来ているのには、もう一つ、理由があると思われます。
工事が竣工すれば、ミニ新幹線の同じ線路に通勤通学の足が戻ってくる、という安心感があるからかもしれません。
地元に優しいミニ新幹線という選択をした山形県の考え方は、もっと高い評価がされていいと、思っています。
そして、そうした考え、取組を広げるため、山形新幹線の乗降客が増加することを願っています。
終着の福島駅。乗って来た列車に別れを告げ、東北新幹線に乗り換え、東京へ。長い旅が終わりました。
「大沢駅・峠駅・板谷駅スイッチバック遺構」が、「栗子隧道」などとともに、2009年経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されました。その認定証と銘板は、現在板谷駅の待合室に掲げられています。