再び「きかんしゃ やえもん」にまつわるお話を… 出会いの場所はどこ? | 模工少年の心

   5月もあっという間に過ぎ、今日はとうとうウィーク・エンドの土曜日。私鉄戦後型電気機関車の分類の続きをやりたいと思っています。                         

   しかし、資料を整理し、正確を期してまとめなければならないと思うと、なかなか進みません。

    定山渓鉄道のED500形電気機関車は、私鉄戦後型電機の一つで、しかも前面2枚窓の個性的な風貌で多くのファンから愛された機関車でした。この機関車をプロトタイプとして、おかしな機関車を模型化したことがありましたので、今日は、その機関車を登場させていただき、時空を超えた鉄道情景をご覧いただきたいと思います。

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 いちろう君は、いませんか?

 

    上の挿絵は、「きかんしゃ やえもん」の絵本の挿絵の中でも、特急列車を颯爽と牽引するEF58とローカル線の花形として期待され登場したレールバスと並んだ「やえもん」の悲しげな様子が描かれ印象的です。

 

    今まで何とも思っていなかったのに、急に劣等感が湧き出てきた瞬間って、悲しいような、悔しいような。自分でも、どうにもできないもどかしさは、だれでも経験することがあるし、絵本の読者の子どもも共感できる、温かい人間の感情だと思います。

    ここまで読んできた子どもは、「まだ、がんばれるぞ」「これまで、本当にありがとう」という気持ちになることでしょう。

 

    それでは、挿絵で描かれている場所は、どこでしょう?EF58や貨物用のEH10が走っていることから、東海道本線であることがわかります。

 

    駅のホームに仕立てられた客車列車の先頭に立とうと、いよいよ仕業に就くため、あるいは、まさに仕業を終えねぐらに戻るため、大きな機関区の中を大小いろいろな種類の機関車が行ったり来たりする光景は、鉄道ファンにはたまらない光景です。

 

   東海道本線の線路を辿り、レールバスや「やえもん」がいてもおかしくないところというと…。

    大井川鉄道の始発駅である金谷駅は、私の思うイメージとは少し違います。

 

東海道線   稲沢あたりでは…?

 

    中部地方のローカル線や機関区周辺の入替作業の始業も担当した稲沢第一機関区(愛知県)が思い浮かびました。

 

    津島軽便堂写真館(HP管理人 田中義人様)のサイトに1970(S45)621日に稲沢第一機関区を訪れたときの印象とともに、たくさんの写真が掲載されていました。その中で、つぎのように印象を記されています。(貴重な資料を掲載されている田中様に感謝いたします。)

 

  「この頃まで、稲沢には蒸気機関車がたくさんいました。

   日本の三大操車場の一つ、稲沢操車場があり、中部地方最大の貨物列車の基地でした。

貨物列車用に多数の機関車が配置されており、(中略) 当時、関西線や稲沢~笹島の貨物列車はD51が、武豊線の貨物列車はC11が、名古屋港貨物線はC50が、操車場の入換は9600形やD51などの蒸気機関車が使われていました。

    この頃からディーゼル機関車への置き換えが始まり、約1年後には蒸気機関車が消えてしまいました。」

 

   稲沢は、「やえもん」やレールバスがいてもおかしくない場所のように感じました。

 

さらに、空想はとめどなく…   岩手県へ

 

    しかし、私の空想は、そこでおしまいではなく、お顔(機関車の前面の形)がEF58似の定山渓鉄道のED500形のことに移ります。EF58に似た半流線型のかっこいい車体が目を引かないわけはなく、もしかしたら、「やえもん」と出会ったのも、ED500だったのではないかと、勝手な想像です。

 

   定山渓鉄道は、北海道札幌市白石区の東札幌駅(開業当初は白石駅)から南区の定山渓駅を結ぶ貨客両用の鉄道です。1957年(昭和32年)にED5001ED50022両が貨物輸送の動力近代化を目的として新製されました。

    ED500は、定山渓鉄道が廃止されると、はるばる信州、長野電鉄に引き取られ、ED5100と改称され活躍を始めます。

   しかし、長野電鉄で貨物輸送が廃止されると、今度は新潟県の越後交通に移り、最後は1995年(平成6年)同社長岡線の廃線で廃車になりました。流転の人生を送ったED500こそ、「やえもん」との出会いの相手方に相応しいと思います。

 

それから、もう一人の登場車両(絵本の中では、いちろう はるこの2両)のレールバスについてです。

レールバスは、西ドイツ国鉄(当時)のVT98型気動車を参考に、日本国有鉄道(国鉄)が1954年(昭和29年)から製造した閑散線区用の小型気動車のことです。

レールバスは、乗合自動車の装備・部品を流用し、コストを抑えるために開発された軽量車体で、バスのような外観から命名されました。

耐用年数が短いため、国鉄の各路線を走るレールバスは、次々と廃止されていきましたが、青森県の野辺地駅から七戸駅を結んでいた南部縦貫鉄道では、比較的近年(2002年)まで運行されていました。旧七戸駅構内で当時の車両が動態保存されていますので、訪問された方もいらっしゃるかと思います。

 

そこで、「やえもん」の挿絵のシーンは、「やえもん」役の230形蒸気機関車に再登場していただき、定山渓鉄道のED500形電気機関車、南部縦貫鉄道のレールバス、という役者が揃いました。

 

出会いの場所は…。

コロナウィルスの感染者が唯一出ていない岩手県。松任谷由実の「緑の町に舞い降りて」の曲の中で、「その響きがロシア語みたい」と歌われた町、盛岡市しかないのではないかと、

着想しました。

 

   岩手県は、宮沢憲治のイーハトーヴォ(イーハトーブ)と名付け、心象世界の理想郷として想定されている地であり、「ぴったりだ!」と自分自身、妙に納得しました。

 

定山渓鉄道 ED500の模型について

プロトタイプとは、いろいろ違うところがあり、ED500モドキが相応しいようです。ナンバーはED5003、三菱の社紋を付けてあります。

 

 「前面を他のジャンク機関車の製作のために使ってしまい余っているカツミのED70形交流電気機関車のサイドパーツを活用しよう」と考えたのが模型化の発端です。  

  半流線型の2枚窓は、同じくカツミの自由型電機、EB58のものを流用しました。ブリキ製のEB58の本体を運転室ドア部分でカットし、ラジオペンチで幅を広げ、これも全幅を狭めるため曲げなおしたED70から捻出したサイドと隙間なく接合できるよう加工しました。5mm幅の真鍮板を継ぎ足して、足りない全高をボディに合わせました。

    台車は、日光モデルのDT16、機関車らしく、エコーモデルの砂箱を台車前後に貼り付けました。動力は、天賞堂パワートラック2個です。

  定山渓鉄道のED500は、前面スカートが妻板と一体となっている構造ですが、このモデルでは再現を諦め、床板にスカートを止める構造にしてあります。

 塗装は、小田急の青に白帯を巻いています。前面の白髭は、製造当初の番号版のところで止まっている時代の塗分けになっていますが、もう少し下まで降りた後年の塗分けの方が、この機関車らしく、しっくりきます。当時は、スカート部の黄色のゼブラ塗りもありませんでした。

 塗装の青は、残されている写真では、もう少し青空に近いブルーに見えますが、長野電鉄在籍時に見かけた印象から小田急ブルー色にしました。

 

南部縦貫鉄道 キハ10形レールバス 

  TOMIX HO-601  床にモーターや電動ギヤ等が飛び出ることなく、きれいに収まっていて、よい製品だと思います。自作ではこうはいきません。

 

EF58電気機関車

    天賞堂のベストセラー製品です。前面窓にヒサシの付いた上越型と言われる耐寒型のモデルです。パンタは、KATO製のPS14に取り換えています。前面のクリーム色のナンバー表示をメタルナンバーに変更するため、クリーム色部分のみ、塗り換えました。

   全長がスケールより長くなっていますが、スマートなEF58らしくて、そこがいいと思います。