前回は、新型コロナウィルス第2波、第3波への対応にかかわり、通勤電車の座席配置と乗車マナーについてご意見させていただきました。
今回は、通勤電車やそこを走る車両の今後の在り方について、考えてみました。
結論から先に言うと、コロナ禍の影響は社会の至る所にまで及び、コロナ後の通勤車両の設計思想にも大きな変化をもたらすのではないかと考えます。
モータリゼーション、過疎化、少子化が進み、すでに多くの地方私鉄は、存続の危機に瀕しています。
首都圏の大手私鉄についても、コロナ禍を契機として、鉄道輸送量の減少傾向が始まり、ますますシビアな経営環境になっていくことも考えられます。
しかし、都市生活に私鉄電車は不可欠であり、長期的な視点に立てば、少し楽観的すぎると言われるかもしれませんが、通勤で利用する身近な鉄道路線が、電車本来の「社会に豊かさを運ぶインフラ」として再認識され、人々が電車に乗る楽しみを感じられるような時代が訪れる可能性もあると思うのです。
マスクが足りないとなれば手作りマスクを考え、お店を開けない飲食店はテイクアウトメニューを工夫するといった、現状を少しでもより良い方向に変えようとする多くの人の自発的な行動を見てきて、きっとこの経済危機を乗り越えて、良い方向へと社会が変化していくことも夢ではない…と思いませんか。
現状を振り返って、東京近郊の私鉄の列車ダイヤは、路線ごとに多少の違いはあるにしても、各駅停車と特急や急行といった乗降客の多い主要の駅だけ停車し、高速で運行する列車を組み合わせて、目的地までの所要時間を短縮できるよう配慮されています。
過去にないコロナ禍を経験する中で(現在も進行中)、通勤にかかる時間のわずかな短縮も、電車に乗車すること自体ができない状況と比べれば、所詮、どれほどの意味があろうかと思いました。
東急東横線の自由が丘ー渋谷間は、途中6つの駅があり、所要時間は各駅停車で12分、特急で8分。時間資源を大事にするのは、「時は金なり」でもっともなこと、それゆえ、その差は4分でも、当たり前のように多くの乗客が特急に乗り換えます。
しかし、特急に乗り換える理由には、「乗り心地という点でも各駅停車より優れているからではないか」と、はたと思いました。
各駅停車では、車内に立っていると、各駅に到着、発車のたびに急加減速があり、電車の揺れに対応し、足腰を踏ん張らなければならないからです。
動力分散方式のSL牽引の客車列車
フランスやドイツなどヨーロッパの国々でも、動力分散方式の列車が増えてきていますが、編成両端2両の動力集中方式の列車が今も数多く残っています。動力集中方式の列車ではモーターのうなる音等がありませんので、乗り心地が良くなります。
とはいえ、現代の日本で、加減速性能以外にも、線路に与える影響、回生ブレーキの効果等、多くの利点のある動力分散方式を集中方式に改めることなど、全く考える余地はなく、また、そのようなドラスティックな改変を求めるものではありません。
そして、一概に高加減速車両そのものを全て否定するものでもありません。
阪神電鉄では、1977年に製造された5001形「ジェットカー」の伝統を脈々と受け継ぎ、現在も高加減速車両が走っています。駅間距離の短い線型の阪神電鉄がジェットカーを採用するのは、JR、阪急といった競合路線がある中で、沿線住民の利便性を考慮し、最適な車両と判断してのことです。
動力分散方式の電車 東京近郊私鉄では高加減速と知られる京急1000系
残念ながら東京オリンピックは1年延期されましたが(実施できることを心より願います!)、今年オリンピックが開催された場合には、その期間中、通勤ラッシュの解消を図るため、大掛かりにテレワークが進められることになっていました。テレワークは東京オリンピックのレガシーにするとも言われました。
ところが、4月に緊急事態宣言が出され、余りにも準備不足の中で、多くの会社が見切り発車のように、コロナ禍への対応のため、テレワークを始めることになってしまいました。ただ、協調とか、チーム力とか、日本の強みを考えると、この先も在宅勤務が全面的に定着するとは思えず、ここは仕切り直して、職住近接のサテライトオフィスでの勤務が促進されるよう、条件整備を願わずにはいられません。
コロナ後の社会を見通したときに、様々な面で、私たちの価値観は変わらざるを得ません。鉄道会社についても同様で、ゆとりのある社会づくりの一躍を担う存在としてあるべきで、これからの通勤電車は、加減速の性能は少し抑え気味にして 、スピードと乗り心地のバランスを重視する方向へと変わるべきと考えます。加減速性能を犠牲にしても、少しでも揺れの少ない電車の誕生が待たれます。
(鉄道工学的な素養のない、ただ鉄道を愛好する者の一人としての断片的な考えです。現実的でないところがあるとすれば、ご容赦ください。)