1,少なくとも、近世中後期、徳川将軍は、まず、宗家の家督を継ぎ、その後、将軍宣下を受ける。ところで、大名が将軍後継者に忠誠を誓う旨の、いわゆる大名誓詞を老中にあて提出するのは、家督継承を契機とする。つまり将軍になる前に、すでに、将軍後継者の臣下となっている。論理的に言えば、官職に臣従するわけではないことになる。これを、藤井譲治さんの天下人論に引き付けると、家督相続をした時点で天下人になるのかな、と。あくまで仮説です。

 

2,大名誓詞の書式で面白いのは。文体は三ヶ条という以外が、統一されておらず、その大名家の流儀で文章が書かれること。血判の位置も同様。大名家は一応事前に老中に伺いを立てますが、拒否されることはないようです。これは、あくまで、大名家が自主的に将軍に臣従を誓うという仕掛けなのでしょう。

 

3,さらに面白いのは、文面は大名同士で先例を確認し合いますが、おおよそ石高など格式の同等なものを参考にすることでしょうか。

 

4,なお、三ヶ条なのは、勿論、当時、箇条書きを偶数で書くことを忌む観念があったためです。偶数になりそうだと、「附(つけたり)」にして逃げることもありました(´ー`)

 

大名誓詞で、最も詳細な研究は、大河内千恵さんの『近世起請文の研究』でしょう。