最近はテレワークの導入のため、改めて印章の価値が見直されてます。捺印不要論です。数年前には、花押を書いた遺言書の無効が、裁判所の判決として出されてました。

 

もともとは、文書を受給する側にしてみれば、花押が一番価値があり、次いで朱印、黒印と続いていきます。現在、黒印などは使用されないことも加味してみると、歴史の変遷とともに、印章の価値観も随分変わったんだな、とある種の感慨にふけってしまいます。

 

ところで、みなさん、ご存じでしたか。最幕末の将軍慶喜の事例です。将軍、花押印や朱印を京都に持って行ったことを。つまり、将軍不在の江戸では、将軍直状を発給できないのです。なにも幕末ではなくとも、例えば日光社参の際もその可能性あります。

 

将軍の御泊り城は、まさに江戸城内のような配置、例えば老中の御用部屋の隣には右筆の部屋が用意されるのですから。少なくとも、これは老中奉書が発給できることを期した部屋割りですから。

 

だいぶ以前に、学内学会でその事実について史料を挙げて紹介したことがあります。史料学的には極めて重要な事実ですよね。だから、こんな事実は、みな知っているだろうし、また知らなくたって、そのうち、だれかが気づくかと思って、敢えて、文章にはしませんでしたが、何人かの専門の方とお話しをしていたところ、みな知らなかったようでした。

 

通常、例えば、大名家であれば「御判紙」(藩主の印判だけを押した料紙、これについては橋本政宣さんの論文が詳しいです)を使い、参勤交代など当主の移動に対応するのですが、将軍の場合はどうなのでしょう。上の事実からすれば、将軍の居所でしか発給できない体制にあったのではないでしょうか。

 

以上は、江戸幕府をめぐる文書社会には、まだまだ未解明な点が残されていることを如実に示しております。そして、かかる問題を見つけ出し、解決していくことは、江戸時代の史料学を深化させるとともに、江戸幕府の政治史研究自体の発展につながることでしょう。加えて、近世の印章の価値観を定点観測で明らかにすることに、繋がるのかもしれません。歴史的文化財としての古文書をよりよく未来へ継承していくためには、こういう研究にも価値はあるのではないでしょうか。