上の本は、明治初年でのものですが、「実語教・童子教」の木版本。手習所(最近では、こちらの名称の方が一般的。いわゆる寺子屋)なんかでも、よく使われた庶民のため の教訓を中心とした初等教科書です。(なお、以下の写真の史料は個人蔵)
もちろん、手習所で使用されるのは、これだけではなく、古往来、教訓科(上がこれにあたるかと)、語彙、消息科、地理科、歴史科、産業化、理数科など多様な教育が実践されていたようです。もちろん、子どもがみなが、これらをすべてを学ぶだけではなく、最低限の読み書きや道徳を基本にし、その手習所の性格や、師匠の能力、各自の将来必要な職能などに応じて、学ぶか否か、あるいはなにを学ぶかが選択していたようです。
ちなみに下は、石川兼さんという教育学者提唱の江戸時代の手習所の教育モデルです。
図 学習順序(石川兼提唱のモデル)
学ぶ子どもの家庭事情もさまざまです。村役人の子どもとして将来の村政を担うことを期待された子どもから、農業専一を期待された子ども、職人の子ども・・・・経済的にもさまざまな事情があります。
上は、「証文御手本」です。江戸時代は文書社会が急速に展開した時代。子どもたちも将来は、日常生活の中で、証拠文書としての証文を書くことを期待されます。また、文書を理解できないと、とんだトラブルに巻き込まれる可能性もあるかもしれません。そのために、このような、証文の書き方や内容を理解する教育も必要とされたのでしょう。右上は「奉公人請状」、下は「質地証文」のお手本。庶民にとっては、必要な知識ですね。
村役人の子弟クラスになりますと、他の役人の付き合いのため、俳句を詠える知識も必要でしょうし、向上心旺盛なものは、当時はインテリ層の知識であった漢詩を理解できる知識を欲したようです。
すこし具体的の事例紹介になりますが、現在は埼玉郡西袋村(現埼玉県の八潮市)に存在した、有名な手習所「尚古堂」で使用された教材です。ここには、上で挙げた、基本的な知識を教授するためのものから、将来村役人を務めるための資質向上に益するもの、さらには「詩経」「唐詩」のような、漢籍まで、バリエーション豊かなものが列挙されております。師匠の小澤豊功(とよかつ)さんは、通学する子ども達の資質に応じ、カリキュラムを考えたものでしょう。なにより、このようなバラエテーに対応できる豊功さんの知的水準の高さには驚くばかりです。さらには、江戸周辺とはいえ、地方でこれだけの教育が実践されていたことにも、注意したいと思います。
(1)初歩的教材
消息往来、教諭三勝章、今川帖、当用文章類、諸証文類、比倫教、詩歌本、世話千字文、文章、手本、本奉書五拾沢折本(詩歌文章類)、孝行教和讃、判紙八拾枚綴本(文章詩歌類)、端紙手本類(婚礼祝之文等21枚)。臨書本当用文章20通、諸証文類(御武家勤奉公人証文等9ヶ条)、いろは、郡路、仮名状、名頭、江戸方角、国尽、商売往来
(2)諸法令類
高札、五人組前書、慶安度御改革教諭書、御拳場御法度書類、川船御役所差上書類、寺社御掟、質地証文案詞など・・・
(3)漢籍
実語教、古状揃、庭訓、合刻四書、論語、孟子、新朝裁許律、御改革、詩経、唐
詩選、・・・
ところで、一番上の「実語教・童子教」は木版本で、これは書店(江戸時代は「書林」などといいます)で、販売されたもの。お金を払わないと手に入れられないものです。ですので、すべての庶民が、手に入れることができたとは考えられません。しがたって、手習所の師匠や、親、あるいは村の知識人は、購入した木版本を筆写して、子どもに与える、そして子どもはそれを、お手本として使用することが一般的であったかと思います。
上は、実語教や童子教の必要な部分を抜粋して書写したもの。奥書からは、天保3年に筆写したことがわかります。これがどのような使われ方をしたのか、そこまでは理解できませんが、手習所というよりは、自宅自習の際使用されたのではないでしょうか。あるいは、本来の所持者は手習所の師匠だったか・・・想像は膨らむばかりです。
なお、江戸時代の日本は、世界でもまれに見る就学率だったとされておりますが、必ずしも学校による教育が支配的ではなかったでしょう。家庭教育が果たした役割や実態解明なども今後、気にしていく
必要があるかと思います。
こうした本を見ていくと、当時の人々がどんな知識を欲したていたのかが、よくわかります。さらに、どんな身分の人々がどんな知識を欲したのか、までわかり、より、江戸時代の教育や読書に対しての理解が深まることでしょう。
現在では、古書店やオークションなどで、多くの手習本や木版本を、比較的安価に購入することができます。これを手に取り見ると、例えば大学でならう、教育史の内容も、より立体的に理解でき、当方などは大変重宝しておりますし、大学やカルチャーの講義などでも持参し、閲覧してもらうと、比較的、喜んでもらえます。
なお、以上の写真、「個人蔵」としてましたが、実は当方のコレクションの一部です(笑)
なお、最後に。冒頭の写真のものの奥書で、とっても素敵なものです。
昭和60年代でしょか・・・僕の以前の持主さんは、これを世田谷のぼろ市で購入し、61年にわざわざ補修されたことが銘記されております。現持主の当方としては、大切に管理してくださったことに感謝するばかりです。そして、その後、なんらかの事情で、この本は、古書店に売られ、そして、それを当方が購入した・・・・
当方はこの(そしてこれらの)本を、大切に保管し、未来へと継承していくことを、購入した瞬間に義務付けられた、ということになります。
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