『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 (12) 言葉の迷宮(169)  | 藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ

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『マキアヴェッリ語録』 (12)





『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 新潮文庫
平成4年11月25日 発行


目次
第1部 君主編
第2部 国家編
第3部 人間編






マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)
は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が
人口に膾炙しています。


その思想を端的に表現する言葉は、
「目的は手段を正当化する」
です。


目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解する
ことが多いですね。


実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、
風説の流布でも経験することです。


福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布
に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、
拡大していきます。容易に訂正されることはありません。



話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなもので
あったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っている
ことの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。


先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア
(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾ける
ことにしました。


マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで
生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀
にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。


ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画

ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画 Wikipedia から
 


塩野七生(しおの・ななみ)さんは、「まえがき」に代えて
「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説
ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明
しています。


尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を
「抜粋」しました。




 この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の

 要約ではありません。抜粋です。

 なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、

 ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを

 御説明したいと思います。

 第一の理由は、次のことです。

 彼が、作品を遺したということです。


 マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証[あか]し、

 であったのです。


 マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した

 思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日

 まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、

 現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でも

 あるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身

 からして、釈然としないにちがいありません。


 抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではない

 マキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わって

 ほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの

 抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われない

 でしょう。


 しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功した

 としても、それだけでは、私の目的は完全に達成された

 とはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つ

 ものを書くのが自分の目的だ、と言っています。 

 

  (前掲書 「読者に」から PP.3-5、14)




マキアヴェッリの名言をご覧ください。


第1部 君主編



 今までにも幾度も述べてきたように、人の運の善し悪[あ]し

 は、時代に合わせて行動できるか否[いな]かにかかって

 いるのである。

 誰でも知っているように、ある者は激情のほとばしるまま

 に行動し、他の者は慎重に慎重を重ねたうえで行動を起す。

 それなのに、両人とも限界をふみはずし、失敗に終わって

 しまうことがある。

 反対に、誤りが少なく、幸運に恵まれた人々は、時代の

 流れを感じとり、それに合わせて行動して成功する。

 激情派か慎重派のちがいには関係なくだ。
 

                    ―― 『政略論』 ――

                              (PP.125-126)

         (034-1-0-000-511)
 



 


 人心を把握するには、厳格主義と温情主義のどちらが

 有効か、だが、いかに並程度の器量の持ち主への提言

 であろうと、いやそれだからこそ当り前の話だが、

 答えはは一つに決まるものではない。

 なぜなら、厳格主義でも温情主義でも、それがその人の

 性格を反映したやり方ならば、同じ効果を生むものだから

 である。

 また、効果の多少は、相手方の状態にもよる。

 相手が、断固とした処置を必要とした場合は、厳格主義が

 効果を発揮する。

 それが反対に、従来の行き方をそのまま踏襲していっても

 よい状態ならば、温情主義で充分だ。

  
                    ―― 『政略論』 ――

                              (P.133)

          (035-1-0-000-512)
 






 君主が民衆の憎しみを買うのは、どういう理由によるので

 あろうか。

 その理由の最大のものは、民衆が最も大切にしているもの

 を、君主が奪いとってしまった場合である。

 なぜなら、人間は、自分が最も大切にしていたものを奪われ

 たときの恨みを、絶対に忘れない。しかも、そのものが、

 日々必要なものである場合はなおさらである。必要を感ずる

 のは毎日なのだから、毎日、奪われた恨みをむし返すことに

 なる。

 第二の理由は、君主の尊大で横柄[おうへい]な態度にある。

 このまずいやり方は、とくに、抑圧された民よりも自由な民に

 対してなされる場合、非常に有害な結果をもたらさずには

 おかない。

 それは、精神的な被害だけで、民衆の憎悪を買うにとどまら

 ない。君主の横暴は、民衆の物質的な害までもたらさないでは

 すまないものだから、民衆を二重に、そういう君主を憎悪する

 するようになるのである。 

 それゆえ、民衆の憎悪は航海中の船にとっての暗礁[あんしょう]

 と同じと考え、それに激突しないよう警戒を怠ってはならないのだ。

 まったく、無為に憎しみを買うことくらい、上に立つ者にとって、

 無謀で思慮に欠けることはないのだ。


                    ―― 『政略論』 ――

                              (PP.134-135)
                              
          (036-1-0-000-513)
 








ポイント

上に立つ者が心しておかないとならないことが、
具体的に書かれています。


厳格主義と温情主義でどちらが有効か、
民衆(国民、社員)の憎しみを買ってはならないこと、
はリーダーが熟慮すべき事柄です。


やり方を誤ると、やり直しのできない事態を招くこと
があります。


安倍首相も、マキアヴェッリの声に真摯に耳を傾ける
必要がある、と私は考えていますが、あなたはどう
思いますか?



キーセンテンス

無為に憎しみを買うことくらい、上に立つ者にとって、
無謀で思慮に欠けることはないのだ。



リーダーに欠かせない能力の一つに、
思慮深いことがあります。


軽率な発言や行動は、国民を愚弄することですし、
本人の政治生命を縮めることになる、
と心得ておくべきです。


権限と責任は不可分なものであることが自覚できる
どうかによって、リーダーの器量の大きさが推し量ら
れます。


真のリーダーか、偽りのリーダーか。
それが問題です。



 弱みのなかで重視すべきことは一つしかない。

 真摯さの欠如である。これだけは見逃しては

 ならない。真摯さは、それだけでは何も生まない。

 だが真摯さの欠如、とくにリーダーにおける真摯さ
 
 の欠如は、悪しき見本となり諸悪の根源となる。
 

 (『プロフェッショナルの原点』 
  P.F.ドラッカー + ジョゼフ・A・マチャレロ 著
  上田惇生 訳 ダイヤモンド社 2008年2月15日
  第1刷発行 P.ⅳ)






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