佐賀関線跡を歩く①
日本鉱業佐賀関鉄道
通称「軽便鉄道(けいべんてつどう)」
大分県大分市
路線距離(営業キロ):9.2km
軌間:762mm
駅数:9駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:交換可能駅:1(日鉱大志生木)
歴史
- 1922年(大正11年)4月11日 - 鉄道敷設法公布。幸崎-佐賀関間が予定線となる(鉄道敷設法別表一覧#第117号)
- 1933年(昭和8年)3月28日 - 省営自動車佐賀関線が開通
- 1946年(昭和21年)3月11日 - 日本鉱業の専用鉄道として開業
- 1948年(昭和23年)6月11日 - 旅客営業を開始/5月16日 - 地方鉄道に変更
- 1949年(昭和24年)6月7日 - 昭和天皇が佐賀関行幸の際に利用
- 1960年(昭和35年)3月1日 - 貨物運輸廃止
概要
佐賀関線(正式名称:日本鉱業佐賀関鉄道)は、大分県北海部郡佐賀関町(現・大分市)の日鉱幸崎駅(現・JR日豊本線幸崎駅)から日鉱佐賀関駅(現・佐賀関製錬所)間を運行していた日本鉱業(日鉱、現・JX日鉱日石金属)が運営する鉄道路線でした。太平洋戦争中には軍需輸送のために佐賀関半島北岸に建設が進められた鉄道でもあったが、開業は終戦後になり、僅か17年という短く1963年(昭和38年)にその歴史を終えています。戦後の九州では唯一の軽便鉄道(762mmゲージ路線)として珍しい存在であったそうです。廃線跡はその大半を地元の生活道路や遊歩道・サイクリングロード等に転用されていますので比較的に痕跡が多く残っています。開業当初、旅客・貨物とも蒸気機関車牽引で運行されていましたが、1951年(昭和26年)に国鉄大隅線の前身である大隅鉄道のカホ1形を国鉄買収時に編入し、元ガソリン動車2両(1930年日本車輌本店製。無動力客車)にディーゼルエンジンを載せて再気動車化(ケコキハ510・511)したものを同年に新車のディーゼルカー(ケコキハ512)として若松車輌で製造し、旅客列車が気動車化されました。同時期ディーゼル機関車も導入されています。列車には女性車掌が乗務し、鉄道職員は珍しい茶色の制服を着用していたそうです。
廃止当時の駅
日鉱幸崎駅 - 日鉱本幸崎駅(ほんこうざき) - 日鉱大平駅(おおひら) - 日鉱大志生木駅(おおじゅうき) - 日鉱小志生木駅(こじゅうき) - 日鉱辛幸駅(からこう) - 日鉱古宮駅(ふるみや) - 日鉱金山駅(かなやま) - 日鉱佐賀関駅
この日は生憎の雨でしたが、小雨になる時間もあったのでロケハンも兼ねて佐賀関線跡を周って来ました。途中雨が本降りになる時間帯もあったので、草藪に埋もれた2基のトンネルは確認だけにして潜り込みませんでした。また夏場にでも再訪したいと思います。
訪問日:2024年3月17日(日曜日)
JR日豊本線幸崎駅
駅名標
幸崎駅
日本鉱業佐賀関鉄道の日鉱幸崎駅跡
日鉱幸崎駅 - 日鉱本幸崎駅間の廃線跡
日鉱幸崎駅 - 日鉱本幸崎駅間の廃線跡
残念ながらこの橋はRCアーチでした。
日鉱幸崎駅 - 日鉱本幸崎駅間の廃線跡
日鉱幸崎駅 - 日鉱本幸崎駅間の廃線跡
幸崎駅方面
日鉱幸崎駅 - 日鉱本幸崎駅間の廃線跡
佐賀関方面
日鉱本幸崎駅 - 日鉱大平駅間の廃線跡
さがのせきサイクリングロード案内板
かなり色褪せています。
※写真は案内看板から引用
日鉱大平駅 - 日鉱大志生木駅間の廃線跡
サイクリングロードが道の駅「佐賀関」まで続いています。
道の駅「佐賀関」方面
日鉱大志生木駅 - 日鉱小志生木駅間の廃線跡
日鉱大志生木駅 - 日鉱小志生木駅間の廃線跡
大志生木橋
大志生木橋
(おおじゅうきはし)
志生木川に架かる橋
1994年(平成6年)2月 大分県
※親柱には「平成6年1月竣工」
道示(1990歩道橋)
定直方法:フレシネー工法
施工:ピーシー橋梁株式会社
日鉱大志生木駅 - 日鉱小志生木駅間の廃線跡
大志生木トンネル
大志生木トンネル前から道の駅「佐賀関」方面
大志生木トンネル
大志生木トンネル
大志生木トンネルから道の駅「佐賀関」方面
大志生木トンネル
大志生木トンネル
大志生木トンネル
大志生木トンネル
大志生木トンネル
大志生木トンネルと右側が国道197号線
佐賀関線跡を歩く②へ続く