1575 再訪

娑婆神橋(さばがみばし)

熊本県宇城市小川町中小野

 

谷川に架かる廃石橋

橋長:5.40m

橋幅:2.50m

径間:4.00m

拱矢:1.70m

竣工:江戸末期[1855年(安政2年)]と推測

石工:不明

型式:単眼アーチ橋

 

 県道32号豊野町・小川町境の三由橋のある交差点から県道244号を約1.1Km西進すると九州道の高架手前に「娑婆神峠の石畳入口」標識があります。この前に車を止め歩いて100mの石畳先に架かっています。

 2017年12月以来、6年ぶりの再訪になりました。

 

訪問日:2023年12月17日(日曜日)

 

 小川町側の「娑婆神峠の石畳の入口」前に車を止めて歩きます。車止めが有りますが、広くなっていて駐車スペースがあります。

 豊野町側からのアプローチは困難と思われます。

 

 

豊野町から小川町へ走ってきた県道244号線の高架下を抜けます。

 

 

娑婆神峠の石畳

 

娑婆神峠の石畳

 

娑婆神峠の石畳

 

石畳が分りづらくなっていました。

 

=====案内看板=====

 

町指定文化財

「娑婆神峠」


 古い昔は、小野部田から、豊福にかけて、山裾まで海だったので、裟婆神峠路が北へ通ずる幹線路でした。

 文献によると、白髪山(しらがみやま)、さばき髪山、鯖神嶺(さばかみのみね)などの名称があるように、伝説、信仰跡の豊かな峠です。
 天正(1573~1592)以前は、人馬も超え難かったのを、鰐瀬(わにせ)の僧が発願し、里人と協力して石畳の道路をつくりました。
 この峠は、大切な通路であるとともに、位置や、けわしさなどから、戦乱の時代には要塞にもなりました。
 相良18代の義陽が、この峠を超え、豊野に入り響ヶ原で、甲斐宗運のため悲運の死を遂げたことは有名であります。また西南の役でも戦場となっています。昔頂上に、7本松がありました。眼鏡橋、甲岩(かぶといわ)漕出し(こぎだし=砂防ダム)などの地名があるのは、峠の歴史を物語るものです。また、この峠附近は、竹葉石の産地でもあります。

 石畳は、県道下郷北新田改修により、現在地に移設され、わずかながら、昔の姿を留めています。
 昭和50年9月16日づけ町指定文化財になる。
 

平成2年3月吉日

小川町教育委員会
小川町文化財保護委員会

 

娑婆神峠の石畳の先に娑婆神橋が架かっています。

 

娑婆神橋

 

娑婆神橋

 

かなり藪っています。

 

娑婆神峠

 

娑婆神峠

 

完全に藪ってしまって廃道になっているので、ここから引き返します。

 

娑婆神橋と娑婆神峠の石橋

 

道路がここまでは整備されていますが、作業用で一般車は入口で通行止めです。

 

川床へどうするか迷いましたが、折角準備して来たので下りたいと思います。

 

娑婆神橋

 

娑婆神橋

 

娑婆神橋 左岸

 

娑婆神橋 右岸

 

娑婆神橋 拱頂部

 

娑婆神橋

 

娑婆神橋

 

娑婆神橋

 

娑婆神橋

 

 次回は相当剪定作業をしなければならないようです。(笑)まぁ橋自体は無事だったという事でこの日最後の娑婆神橋を後にして、八代市のホテルに向かいます。

 

Map

 

娑婆神橋

 

おまけ

 

前回の娑婆神橋

 

 

 

娑婆神橋

(2017年12月撮影)