旧浦代隧道②
(きゅううらしろずいどう)
大分県佐伯市米水津大字浦代浦
1908年(明治41年)着手 - 1910年(明治43年)竣工
県道501号線に悲願の新浦代トンネルが1969年(昭和44年)10月23日に完成するまで木立と浦代間の主要道路だった山越えの頂上付近に残る隧道です。かなり狭い道路が斜面をトラバースして続いています。現県道の「新浦代トンネル」より標高は約50m高い位置になります。以前の写真を見せてもらいましたが、小型バスも運行していたみたいです。離合大丈夫だったのでしょうか? 急斜面が多いため車の押し役が2人同乗していたそうです。
訪問日:2023年11月17日(金曜日)
旧浦代隧道
旧浦代隧道 ポータル前
大山祇尊を奉る祠(奉納明治四十三年十月竣工)とお地蔵様
祠裏面の刻印から読み取ると隧道の完成時に祀られたようです。
御神酒は持参していませんでしたが、安全祈願して潜り込みます。
旧浦代隧道
旧浦代隧道
扁額、ピラスターは有りませんが、笠石とアーチ環が確認出来ます。スパンドレルは布積みされています。
旧浦代隧道
石橋とは違って、中から組み上げる矢板工法による石造アーチみたいです。
振り返った木立側の出入口
旧浦代隧道
素掘りを抜けると石造アーチが組まれています。
旧浦代隧道
この辺りから真っ暗だったので、懐中電灯2灯を照らしての撮影になります。
旧浦代隧道
米水津側が見えているので、目印の蛍光スティックは置かないで進みます。
道路面はアスファルト舗装されていたようです。
旧浦代隧道
隧道内は石造アーチと素掘りが併用されています。
旧浦代隧道
中央付近が急に天井が高くなっています。ここだけ意図的に高く掘削したのか、岩盤が柔らかく高くなったのかは不明です。推測では後者だと思います。
旧浦代隧道
振り返って見ると高低差が確認出来ます。
旧浦代隧道
コウモリは冬眠に入っているのか? 見た目は少なかったので飛び交う姿は有りませんでした。山頂付近で、海側からの風が吹き抜けるので冬場はかなり冷え込みそうです。
旧浦代隧道
旧浦代隧道
出入口付近は石造アーチです。
ライトを消して撮影
旧浦代隧道の堆積した土砂の上からの風景
ここを出ると、急に冷たい風が吹き付け出しました。隧道内は堆積物で風がガードされていたようです。
米水津側に出ると直ぐT字路で直進は斜面になっています。お〜怖!
右側に進むのが旧道で、下って行けば現県道に出ます。
左側にも道が有りそうですが、行き先は未確認です。
錆び付いていて文字は確認出来ませんが、何て書いてあったのかな?
旧浦代隧道
米水津側はポータルが半分近く埋まっています。意図的に埋めた訳では無く、斜面から吹き付ける風によって砂土が堆積しているようです。
こちらは海からの風が吹き上げてくるので、風が冷たかったです。
旧浦代隧道
旧浦代隧道
吹きつける風が冷たくて、一応厚着はしていたのですが、身体が冷えそうなので早々に帰りたいと思います。このポータル、完全に埋まるまではあと半世紀はかかるんでしょうか?
米水津側からの内部を自然光で撮影
少し急ぎ足で戻ります。
旧浦代隧道
来た道を下って行きます。
明治後期〜昭和後期まで、この地域の流通を担ってきた道路です。今回訪れて「旧浦代隧道」はいつまでも後世に残して欲しい遺構だと思いました。重機の無い時代、大変な難工事だったと想像できます。
往復1時間30分で、10,000歩の散策になりました。写真はここで紹介した倍くらい撮影しているのですが、「旧浦代隧道」いかがでしたか・・・
いやぁ〜 今回もコーヒーが旨かった!
Map
旧浦代隧道