0163 再訪

熊本県指定重要文化財

雄亀滝橋(おけだきばし)[桶滝橋]

熊本県下益城郡美里町石野字桶岳

 

緑川支流柏川に架かる石橋

橋長:15.50m

橋幅:3.60m

径間:11.80m

拱矢:5.40m

水路構想:不破 敬次郎 氏(郡代)

総指揮:惣庄屋 三隅 丈八 氏

    実作業、惣庄屋 篠原 善兵衛 氏(横目)

石工:岩永 三五郎 氏

大工:尉助 氏(甲佐手永大町村出身)

架橋:1817年(文化14年)頃と推測

柏川井手:1814年(文化11年)着手~ 1819年(文政2年)竣工

型式:単眼アーチ橋 水路併用 壁石:布積み

指定:1974年(昭和49年)11月19日 県重要文化財 指定

 

 2014年3月2日(日曜日)以来、数回訪れている私のパワー・スポットの一つです。最初に来た時は補修に入る前で、アーチ内にイントレが組まれていました。補修後は広場(駐車場では無い)も設けられています。

 書籍でいろいろ調べると、我が国最古の水道橋は福岡県大牟田市の早鐘眼鏡橋で、日本一大規模な水道橋は通潤橋です。通潤橋の架橋の前例になったのが、この雄亀滝橋です。通潤橋は1854年(安政元年)の完成なので実に37年も前に雄亀滝橋は架かっています。熊本県内のこれ以前の石造アーチ橋は豊岡眼鏡橋(植木町/享和2年)、湯町橋(山鹿市/文化11年)ぐらいしか見当たりません。湯町橋は日輪寺公園に移築復元されましたが、豊岡眼鏡橋は現地保存(車両通行禁止)されています。

 今回初めて知ったのですが、ダム工事に伴い取り壊しが検討された時期があったそうです。運良くダム建設工事事務所長が九大土木学科出身だったと言うことでこの橋の文化財的に価値が高い事を認められて保存され、その後は県文化財指定され現在に至っています。ただ、ダム工事の採石場になったので以前の趣は完全に失われてしまいました。

 

訪問日:2022年10月2日(日曜日)

 

補修工事の為に水路沿いの道が整備されました。

 

 

 

雄亀滝橋

 

以前は草藪でしたが、工事の為に舗装されました。

 

惣庄屋 三隅丈八家に伝わる「雄亀滝橋出来積帳」から

 

 表題に文化十四年丑七月、下益城砥用手永柏川新井手 地橋、眼鏡橋、伏桶、欄干、出来積帳とあるため、1817年(文化4年)には完成していたと思われます。

 御郡代不破敬次郎殿、御横目篠原善兵衛、御惣庄屋砥用丈八、地橋大工、甲佐手永大町村尉助と初頭に記載されているので柏川井手の関係者とほとんど変わらない事がわかります。地橋大工とは石造アーチを積み上げるために作る下地橋の大工です。

眼鏡橋の記載部を抜粋

 眼鏡橋一ト口、桶滝、石野村石工 三五郎受

 但 渡九間、橋幅弐間、橋台より差渡七間、橋上口廻り拾壱間四寸、下口廻拾間七寸

 掛石 百弐拾弐枚、長六尺、幅撫壱尺五分、厚壱尺八寸

 割石 五百四、但橋左右石垣共

 

 石工が岩永三五郎の手による事で、細かな寸法、割石、掛石の数量や寸尺まで解ります。

(※「九州のかたち 眼鏡橋 西洋建築」太田静六編から一部引用)

 

雄亀滝橋

 

熊本県指定重要文化財

雄亀滝橋(おけだきばし)

昭和49年11月19日 指定

 

 緑川の支流柏川から取水する柏川井出が雄亀滝の深い谷を通る地点に造られた水路橋である。

 柏川井出は、約65町歩に灌漑するために造られた延長約11キロに及ぶ水路で、下益城郡代不破敬次郎、砥用惣庄屋三隅丈八、横目篠原善兵衛等の協力によって、文化11年(1814)から文政2年(1819)まで6年を要して完成した。この工事に伴って、この橋は文化14年に建造されている。

 橋は凝灰岩を使った単一アーチ橋で、長さ15.5m、幅3.6m、アーチのスパンは11.8mある。石工は岩永三五郎、大工は甲佐の尉助である。橋上の路面に石造の水路が埋設されている。もとは欄干を立て、道路橋としても利用されていた。

 熊本県に現存する眼鏡橋の初期の実例であり、水路橋としては最も古いものである。

 わが国最大の石造アーチ水路橋である通潤橋(国指定)は、この橋の技術が基礎になったといわれる。

熊本県教育委員会(昭和63年3月建)

(※案内看板から引用)

 

 中段と下段が本来の二段滝だと思いますが、要塞のような上段の人工堰(ダム)と下段はコンクリート改修されています。中段の滝が当時からの面影を残しています。

 

 

 

右岸

 

拱頂部

 

 

左岸

 

まだ小さいですがスズメバチの巣が有ります。

 

 

 

 

柏川井手と雄亀滝橋

かしわがわいで と おけだけばし

 

 文化10(1813)年 砥用手永惣庄屋・三隅丈八は石野村以下十余箇村の灌漑の為、緑川支流の柏川から、井手の開削に着手しました。

 桶岳の深い谷に工事がおよんだ際、野津の石工(岩永)三五郎に水路橋架橋を依頼し、文化14(1817)年に完成しました。

 記録には、郡代・不破敬次郎、山支配役篠原善兵衛の名も見られ、当時の工事様子がわかります。

 柏川井手は文政2(1819)年に開削され、現在も灌漑用水路として、約110ヘクタールの田畑に水を供給しています。

平成20年3月

美里町教育委員会

(※案内看板から引用/漢数字は算用数字に変更)

 

 

 

 

 

 

 

左岸からの雄亀滝橋

 

雄亀滝橋 橋上

 

 水路は埋設されています。『積帳』では、欄干もあったようですが、現在は一カ所も見当たりません。また記載から、水路、眼鏡橋そして欄干に三五郎 氏が全て関わった事が分かります。

 

雄亀滝橋

 

パワー!独り占め!いいですね〜

 

私のパワースポット、もう一ヶ所も近々出かけたいと思います。

 

Map

 

雄亀滝橋