1300  再訪

県指定有形文化財

萬年橋(まんねんばし)[万年橋]

 大分県大分市寒田

 

 寒田川に架かる石橋

 橋長:22.00m

 橋幅:3.80m

 径間:11.40m

 拱矢:4.40m

 架橋:1862年(文久2年)

 補修工事:1998年(平成10年)

 石工:後藤 郷兵衛 氏 他

 型式:単眼アーチ橋 二重アーチ 壁石:谷積み

 

 国道10号の敷戸駅手前から左折して約400m先を左折して寒田地区へ進みさらに左折して進むと西寒多(ささむた)神社に出ます。住宅地の道が狭く混みいっています。神社の参道橋で手前が駐車場です。橋の手前に大きな記念碑があり、背面には石工棟梁名や係った20名の石工の名前が刻まれています。アーチは160年前の姿ですが、橋上の敷石と高欄部は平成に入って補修・修復工事が施されています。藤棚の花が咲く頃は、今でもこの太鼓橋を渡る人で賑わいます。

 2016年10月以来ですが雨が降っていて藤も終わり、静かな再会になりました。

 

訪問日:2022年5月13日(金曜日)

 

 

=====案内=====

 

県指定有形文化財

 

万年橋

Mannen Bashi (Bridge)

 

指定 昭和55年4月8日

 

 軽快で美しい弧線を描く、太鼓橋とも呼ばれる石造単アーチ橋です。全長22メートル、幅3メートル。11メートルの径間に対してアーチの高さが3.9メートルと低く、アーチと路面の間も狭いのが特徴です。江戸時代末1862年(文久2)、延岡播寒田村(そうだむら)の庄屋佐藤氏らが発起し、大野郡柴北村(現犬飼町)の石工後藤氏らによって同年完成しました。

 

記念碑

 

万年橋

 

 

右岸

 

 

 

万年橋 橋上からの藤棚

 

万年橋

 

小雨降る太鼓橋、さすがに滑りそうで怖かった。帰りは藤棚の中を抜けました。

 

 

西寒田神社

 

 

西寒多神社ご由緒
 

 創祀は遠く応神天皇9年4月武内宿禰公勅命を奉じて西寒多山(現本宮山)上に宮殿を建立し後に大友十代観世公が応永15年(1408)3月に社殿を現在地に遷し今日に至る。尚延喜の制には式内大社に列し豊後の国の一ノ宮として国司をはじめ武将の信仰特に大友能直公、大友宗麟公の尊崇あつく、明治4年5月14日国幣中社に列格、大分県内では宇佐神宮につぐ神社として皇室、国家をはじめ国民の崇敬いよいよ深く現在神社本庁別表神社として尊崇をあつめている。宝物として宗麟公愛用の印章をはじめ大友能直公 織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公等の子文書を有している。

(※案内看板から引用)

 

狛犬 阿形像

 

狛犬 吽形像

 

 

 

境内からの万年橋

 

 

左岸

 

万年橋