初代朝日隧道銘板

(しょだいあさひずいどうめいばん)

 

鹿児島県日置市東市来町美山

 

竹下橋から国道3号を東市来駅方面に移動していると

銘板が保存(?)されていたので、急遽寄りました。

 

訪問日:2017年4月1日(土曜日)

 

初代朝日隧道銘板

国道3号沿いですが、この場所が駐車スペースになっています。

 

初代朝日隧道銘板

草木を少し剪定しての撮影です。

 

初代朝日隧道銘板 案内板

 

初代朝日隧道銘板

 

 これより、鹿児島市側へ350mの位置に、国道3号線朝日隧道(延長93m)があります。
 最初の隧道は明治21年に開通し、明治、大正、昭和の約70年の時代に亘り、重要な役割を果たしてきました。現在の朝日隧道は昭和34年に拡幅された2代目のものであります。この2対の隧道銘板は明治21年初代隧道開通時に、鹿児島県出身で当時の内閣総理大臣黒田清隆氏と、長野県出身で当時の鹿児島県知事渡邊千秋氏の揮毫により、制作されたものです。
 地域の貴重な土木遺産として、此処に保存展示致しました。


平成11年2月

建設省 鹿児島国道工事事務所

鹿児島県 伊集院土木事務所

東市来町役場

 

初代朝日隧道銘板

 

黒田清隆 くろだ きよたか

 

1840年(天保11)~1900年(明治33)

薩摩藩士黒田清行の長男 明治期の政治家

1867年(慶応3)薩摩藩の軍監兼参政となり、1870年(明治3)開拓次官となり北海道開拓の基礎を築いた。

1877年(明治10年)西南戦争に征討参軍として参加。

1887年(明治20年)第一次伊藤博文内閣の農商務大臣後、1888年(明治21)第2代内閣総理大臣ろなり、大日本帝国憲法に発布にあずかった。

その後1895年(明治28年)枢密院議長となった。

(鹿児島県立図書館所蔵)

 

初代朝日隧道銘板

 

渡邊千秋 わたなべ ちあき

 

1843年(天保14)~1921年(大正10)

信濃国高島藩士 渡邊政徳の子。

前任の岩村通俊の鹿児島県令赴任に同行して1977年(明治10)4月鹿児島県大書記官となり、西南戦争の戦後処理に励んだ。

岩村が転出した後、1880年(明治13)7月県令となり1886年(明治19)県知事に任命され、1890年(明治23)9月の転任まで、13年6ヶ月の長期にわたり県政の振興に貢献した。

(株式会社南日本新聞社所蔵)