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姶良市指定有形文化財

岩剣神社石橋(いわつるぎじんじゃいしばし)

鹿児島県姶良市姶良町平松奥山花 岩崎神社境内

 

岩剣川に架かる石橋

橋長:4.66m

橋幅:2.16m

径間:4.00m

拱矢:1.70m

架橋:1849年(嘉永2年)

石工:不明

型式:単眼アーチ橋

 

 県道57号から岩剣神社、奥山花公民館入口を岩剣川沿いに約300m進むと岩崎神社参道に架かっています。明治時代に欄干は修復されています。また、1993年(平成5年)8月の水害で被災し、石橋の一部が破損・流失しましたが、翌年1994年(平成6年)に神社の協力を得て修復されました。鹿児島城下の甲突川に岩永 三五郎氏が架けた玉江橋と同年の幕末に完成された石橋で、壁石は布積みです。

 

訪問日:2015年6月6日(土曜日)

 

岩剣神社石橋

 

岩剣神社石橋

 

岩剣神社石橋

 

=====案内看板=====

 

岩剣城跡

(いわつるぎじょうせき)

 

 岩崎城は戦国時代の代表的な山城です。蒲生方によって享禄(きょうろく)2年(1529)頃に築城されました。天文23年(1554)には島津氏との間で激しい戦いが行われ、この一帯が主戦場となり、初めて鉄砲が使用されたといわれています。その後、島津義弘が山麓の平松に居館を築いて、3年間城番を勤めました。岩崎城は標高約225mの山頂部に築かれた要害の地です。現在でも曲輪(くるわ)や土塁(どるい)、空掘(からぼり)が残っています。

 

岩剣神社

(いわつるぎじんじゃ)

 

 当社の創建ははっきりしませんが、天文11年(1542)の棟札には「大檀那平重嗣、地頭重清」と記されていた旨の記録があります。祭神は大己貴命(おおなむちのみこ)。

 社伝によれば、「天文23年、島津貴久が渋谷一族を岩崎城に攻めた時、10月2日、田布施金峰山の座主(ざしゅ)園田某が密かに岩崎神社の御神体を白銀坂の陣営に勧請しました。貴久はこの戦いに勝利を収めたならば、毎年例祭日に神舞(かんまい)を奉納しようと願いを立てたところ、その夜の内に渋谷勢は逃れ去ったので、翌日貴久は城に入ることができ、岩剣の本社へ御神体を返しました。」とあります。島津義弘は平松在城の頃、しばしば参詣(さんけい)し、神舞を奉納しています。

平成10年5月 姶良町教育委員会

 

 

岩剣神社石橋

 

岩剣神社石橋

境内から鳥居、岩剣神社石橋、道路を挟んで駐車場になります。

 

岩剣神社石橋

 

岩剣神社石橋

 

岩剣神社石橋

 

岩剣神社石橋

 

Map

 

岩剣神社石橋