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黒水家住宅の石橋

(くろみずけじゅうたくのいしばし)

宮崎県児湯郡高鍋町上江

 

水路に架かる石橋

橋長:2.00m

橋幅:2.00m

挟矢: -  m

径間: -  m

架橋:不明

石工:不明

型式:単径間桁橋 桁石4列 地覆加工

 

 高鍋町の市指定有形文化財になっている黒木家住宅の入り口水路に架かっています。ここもデータが消失したので、1ヶ月ぶりの再訪になりますが、今回は住宅内には入りませんでした。

 

訪問日:2017年8月19日(土曜日)

 

黒水家住宅の石橋

 

黒水家住宅の石橋

 

=====案内=====

 

黒水家住宅の沿革

高鍋町指定有形文化財


 黒水家は、高鍋藩の兵法家としての家柄である。越後流兵学の大家佐久間入道頼母が高鍋に下ったのは、元禄6年(1693)のことで、黒水次右衛門はこの頼母に師事し、元禄14年4月3日に兵学の免許をうける。
 黒水家住宅は、高鍋藩主秋月氏の家老職を勤めた黒水家の家で家老屋敷と呼ばれ、主屋・籾蔵・みそ蔵・土蔵が建ち並び、前面に土塀が建ち武家屋敷としては貴重なものである。
 主屋は鍵屋敷になった寄棟造り茅葺で玄関から上り左に居間をとり右へ順に10畳の控の間、8畳の次の間と続き、本格的な床、書院をつけた風格ある上の間が鍵となって前方につきだしている。
 もともと台所部分は別棟になって後方に接続していたと思われる。このように一部改造はあるが数少ない武家屋敷であり、建築年代はこれを示す明確な資料を欠くが、構造形式等からみて文化・文政の頃(1804~1830)のものと推定される。
 籾蔵は、藩政時代に藩の籾蔵として高鍋城内に建っていたものを明治初期に譲りうけ移築したもので、西南戦争の際に秋月種節をはじめ九烈士が薩軍によって監禁された建物である。
 その他、みそ蔵はみそなどをつくり貯蔵し、土蔵は重要な品物を保管するために使用した。
 茅草屋根をもつ武家屋敷としては県内でも極めて重要な文化遺産である。

 

黒水家住宅の石橋

 

黒水家住宅の石橋