想いを弔う

弔う(とむらう)とは、
亡くなった霊を慰めるために供養すること。


お正月以来にあったその人は、
わたしのことを褒めてくれた。

「髪型も、服装も、垢抜けたね」
と。


そうか。
たしかに、あの時から随分と外見は変わった。

でも、以前のような
飛び上がるような嬉しさはなかった。


昔は、めっちゃ嬉しかったんやけどな。
もうすぐ、別れて1年半が経つ。


時が解決してくれるよと、
失意の中、歌詞や友人が教えてくれた。


久々に会うその人は、
一段と柔らかい雰囲気になっていた。

話し方も、以前より穏やかな感じ。


反対に、わたしの方は、
以前よりもことばの輪郭が、
ハッキリ出るようになった気がする。

話し方も、話す内容も、
隠すことや、遠慮することが減ってきた。


話した内容は、冬からのお互いの近況。

いろいろあったような、
あっという間のような。

でも、おかげで話が尽きることはなかった。


冬に書いた、
"弱さを見せる強さ"を、
確かに身に付けた気がする。


と同時に、あの頃の思い出がわたしに与える影響も、薄くなっていたことに気がついた。

最初は、悲しかった。
あんなに生きる目的だったのに。
と。


だから、翌日からは
ちゃんと悲しんで、涙が出る日が続いた。

思い出が薄くなったこと。
ときめきが薄くなったこと。
もう、友人の認識になっていること。


そして、ちゃんと悲しんだら、
またひとつ、気持ちが軽くなった。


時が解決してくれている。
進化していっている。

自分の気持ちに嘘をつくことが減っている。
誰かを優先することが確実に減っている。

他の人よりも、今ここにいる自分を
大切に感じている。


きれいで痛かった思い出を弔った、
今年のお盆。