学ぶ過程での怒り

新しいことを学ぶ時、短気だ。

短期集中だったらよかったけれど、
そうではなくて、イライラする。


ゲームも、最初は楽しいけれど、
途中からイライラしてやめる。

慣れないことを始めるとき、
途中で怒りが出てくる。


キャパがオーバーした時に、
怒りを出すことで、
自分にブレーキをかけていたのかなと思う。


学ぶことと、怒りは
そういえば常に隣り合わせだった。

イライラすることで、
これ以上しなくていいよと、
自分にも周りにも許可をさせていたような気がする。


楽しく学びたい、
学ぶことで可能性が広がるし、
自分の許容量も増える気がするから、
学びたいことはあるけれど、


いつも思い浮かぶのは、
学びをマスターしている一場面。

その過程は思い浮かばない。


そしてその過程では、
怒りが出てきて、怒るくらいだったら、
人に迷惑をかけるから、その場から離れる。

そして、学ぶ機会を失う。


そんな繰り返しをしてきたから、
生きてることに中途半端な感覚があるし、

コツコツ続けて、改善して、
結果を出している人を見ると、
羨望と嫉妬が渦巻く。


これって、
駄々をこねることや、ワガママとも通じてそうだ。

我を出すことへの抵抗感が、
何か別のものとくっついていて、

生きづらい解釈をしていそうな気がする。


これは、わたしにとっては、
大きな気づきだ。