朝 9時ぐらいだろうか

ホームステイ先の電話が鳴る。



「プルルルルルッ」


奥さんが電話に出た。


「高瀬さん 〇〇さんからですよ」



試合をブッキングしてくださった敏腕ブッカーの方からだった。


寝ぼけまなこで電話を代わる。


受話器の向こうからただ事ではない空気が一瞬流れ出した。

「もしもし高瀬!? なにやってんの!?」


かなりご立腹だった。


「いや スミマセン 寝てましたけど…」


更に大きな声で


「寝てました!? なんでシカゴにいないんだよ!?スケジュール表をすぐ見ろ!!」


「ええっ!?ちょっと待って下さい!」


俺は 表記されている時間

0:00は昼ではなく、深夜だったのだ。


モンテコックスの迎えの人が、空港で待っていても俺達が姿を現さないので 連絡がブッカーの方にいったのだ。


「すぐ用意して飛行機乗れ!!」



やっちまった… なんて言ってる暇もなく空港に送ってもらい、奥さんがうまく時間を変えてシカゴに迎える事になった。

なんとかなりそうだ。


奥さんに頭を下げ いざシカゴへ向かった。

セコンドのトレーナーも間違えるほどの凡ミス。

大会主催者からしてみれば焦るだろう。
セミを務める選手が空港に来ないのだから。




約二時間でシカゴに着き、もちろん迎えはいない。


なんとか宿泊先のホテルへタクシーで辿り着いた。


ロスと時差があり当たりは真っ暗でモンテコックスに会うのも次の日だ。




立派なホテルだった。とにかくデカい。

辺りはホテルしかなく ミットなどはどこででもできそうだった。



次の日モンテコックスに会い 飛行機の時間を間違えた事を謝る。


彼は特に怒った様子もなく、とても大らかで紳士的だった。


試合まで後数日、減量も 流行りの“軽量当日数キロ落とし減量”ではなく 徐々に落としていたので問題はない。



ホテル内を歩いてると馴染みの顔が見える。


バスルッテンだ。


「高瀬!! 久しぶり! しばらく見なかったけど何をやってたの?」

バスはプライド時代 アメリカの放映の解説をやっていて よく会っていた。



俺は しょうもないマネージメントのせいで試合ができなかった…なんて細かく説明できる程の英語力はない。


とにかく 打撃を中心に練習してきた事。 キックの試合をしたりしていた事を説明した。


彼は キックの試合に出た事を驚いていた。

「とにかく期待してるよ!」


と、バスが言ってくれた。



そして テレビ用のインタビューや取材を済ませ 公開軽量とルールミーティングが始まった。




そしてルールミーティングで 寝耳に水の事実。

そして何よりも


今までにいなかった程の 超ケンカ腰の対戦相手。




いよいよ 時が来た。




続く