なんかさ 続きを早く書け書け うるさいヤツがいんだよね(笑)

遂に来たゴング。
相手は必ずローから入るのを読んでいた俺はカウンタータックルに成功。
俺の作戦はハーフガードで時間を稼ぎ残りが2分切ったところでサイドポジションから極めにかかる…という スタミナをなるべくロスしない作戦だった。 アンデウソン戦も当時は打撃に自信がなかったため残り2分で極めにいった。仮に凌がれても2分切っていればゴングで救われるからだ。 もちろん絶対に極める自信はあった。
上になって アッサリ パスした俺は ハーフガードにワザと足を戻しコツコツ殴りながら足を抜くフリをして時間を稼ごうとした。
しかし…
信じられないレフリーの一言がオレの頭上を…

「ブレイク!!!」

「はああっ!? なんで足抜こうとしてるムーヴしてるのにブレイクなんだよ!」 って思っても もうつかの間。 再びスタンドから。
もう俺はスタミナの半分以上をロスしていた。 スパーもできない追い込めない という状態で こうなると もう後は気力しかなかった。
だけど1ラウンドは俺が取ったと思う。 最後三角も取りかけたしね。

1ラウンド終わりインターバル中 俺はもう軽くチアノーゼ状態。
呼吸を整えるどころか 呼吸をするので精一杯だった。
しかしなんとか終了まで凌ぎきり、俺は判定で負けた。
後でセコンドの長南さんが マッハさんが俺の左ストレートで鼻を折った事を伝えにきてくれた。
しかし負けは負け。

俺はやらなくていい試合をやり、一生 “マッハと大晦日やって負けた男”というレッテルがついた。 勝ち負けじゃない?勝ち負けじゃないのは“なんとか道場”とか“誰か上の人間に可愛がられてる”とかの選手だけなんだよ。
俺には今思い返すと 勝ち負けしかなかったんだよね。 だけど大きな渦に飲み込まれた俺はやる羽目になった。 どんな怪我をして練習ができなくてもね。
それはただ単に俺が
“可愛がられてないから”だったんだ。

試合後 特にダメージがあった訳じゃないんだが 1ラウンドしか記憶がなかった。今でもそう。 本当に死闘だった。 息をするだけで精一杯なんて後にも先にもなかった。
試合後マッハさんが 俺がこういう状態だったんだから 「もう一回やろう」とかマイクで言ってくれんのかと思ったら全然そんな素振りなし(笑)試合後プレスルームで悔しくて涙が出た。それは負けた悔しさでなく、こんな状態で試合をしなければいけない自分の情けなさに涙が出たのだ。
いやあ あのブレイクがなかったら とか 怪我をしててもせめてちゃんと練習できてたら… とか今でも思うよね。
もちろん当時俺の事を嫌っていたヤツが編集長をやっていた格闘技通信の記事には俺がどんな状態で試合をしたのか なんてどこにも書いてなかった。

そこにあったのは
今でも残ってるのは
俺が “マッハさんに負けた”という事実だけ。
“可愛がられていない選手”は あの華やかな舞台で、こんな苦しみを味わうのだ。
そしてソレは まだまだ続くんだよね。

続く