公表しますか。


でも ファンの人は
体に悪いので 読まないで下さいね~

どこまで遡ろうか。
プライドの登竜門 と言われた興行、ザ ベストくらいからかな。
当時一線でやっていた ジョイユデオリヴィエラに勝ち 当時“ヒクソンの再来”と言われていたブラジルのニーノシェンブリ戦に辿り着いた自分は 試合前に首のヘルニアでマトモな練習ができずも 誰が見ても判定で勝った!という試合だった。左ストレートでダウンも奪ったし。 しかし何故か2-1という ハァ!? な判定。 判定を聞いた瞬間 「え?ここ ブラジル!?」

いやあ 俺はよっぽど嫌われてるんだなぁ としみじみ感じたよね。
セコンドで来てくれた
柔道の某強豪選手も
「なんすかあの判定!?」とキレてたな。
だけど理由はよくわかってる。当時インタビューで「負けても散々使われてる日本人選手がいるんだから登竜門なんてやらないですぐ出してほしい」と後先考えない青木真也なみの発言。
当時、表上社長としてプライドの社長だった故 森下社長が 怒っていた と聞いてたから。
よっぽどプライドに出したくないんだな って納得した。
試合後 当時の裏社長だった榊原さんに 挨拶行こうとしたら ぷいとかわされたのをよ~く覚えてる。
生意気な発言するわ 目が悪いので目つきは悪いわ… まぁ 今考えれば 初めて “社会の厳しさ”に触れた日だったんだよね。

そんで色々あって ケイシュウ会を辞め 吉田秀彦さんがいる jロックに入って プライド26のアンデウソンシウバ戦にたどり着くわけなのですが… ここから 更に更に 社会の厳しさを というより 制裁を受けるのであります。

疲れたから 次に続く