ヒトはナニカに没頭できているとき
幸せである。


子どもの頃のあの感覚だ。

結果的には、ナニも生み出してはいない。

それでいいんじゃないか?

いがみ合って、罵りあって生きてるオトナよりよっぽどいいのでは…



人間はなんのために生まれてなんのために生きるのか⁈



この…ナニも生み出さなくても幸せって、とっても大事…




現代は効率を求めてナニカを生み出し、
ハミ出たら叩かれる…

ひとつの答えしか許されない世界は窮屈だ。


本来なら、悩まなくてすみそうなこと
でも気にしてる。

もっと自由に、カッコ悪くても、評価がなくても…




本来のプログラムを思い出したら、迷わずやってみよう。

プログラムを思い出すのは、リラックス、フトした時だけだ。

社会生活でクタクタになりながら、お風呂に入っているフトした時…

原稿に行き詰まり、気分転換に散歩をしている時…


本来のプログラムを思い出したら、動いてみよう。

時間をかけてみよう。


集中できて、時間もかけられ、そしてそれがナニやら役に立っていることに、フトあとから気づく。




それを仕合わせというのだろう。