この言葉は、自ら行った事には、良い事にもそうで無い事にも、必ずその報いは自分へ帰って来ると言う、諺からの四字熟語です。

解り易い例えでは、先の第二次世界大戦の、枢軸国と呼ばれた、ドイツとイタリアと日本の三国と、イギリスと欧州国とソ連と、アメリカの連合国の世界大戦でした。ドイツとイタリアの、ファシズムの独裁者国に引き込まれた形の日本は、ともかくもドイツとイタリアの両国の、欧州戦線の勝利をアテにして、アメリカのモンロー主義(アメリカ第一主義)も有って、アメリカは日本には戦争はやらないだろうと、都合の良い理屈で、中国大陸や東南アジアの諸国を、占領して行く愚行を繰り返しました。しかし、日本政府のそんな都合の良い展開にはならずに、欧州戦線では破竹の勢いの、ドイツとイタリアは、連合国に負けてしまいました。そして、連合国の中のアメリカは、欧州戦線の兵力を、全て太平洋へ持って来て、日本を完膚なきまでの勝利をしました。この当時の、日本の近衛文麿内閣の、内心ではアメリカとの戦争には、勝てないと解っていながら、陸軍や海軍の横暴に抗えなくて、昭和天皇の憂慮も無視して、曖昧な態度を取り続けて、勝てないアメリカとの戦争を始めたのでした。これこそ、正しく因果報応の典型的な、事例となりました。歴史研究家の、半藤一利さんの説によれば、日本国は明治時代の日清日露戦争、とりわけ日露戦争の勝利に、酔いしれてしまって、ただ単に戦争に勝った事に、何の反省点も検証せずに、日本は負けないと言う、浮かれた気分のまま、勝てる筈のないアメリカとの、戦争を初めてしまったのでした。しかし、日本は世界から、これまでかと頭を叩かれて、どん底の状態にはなりましたが、そのどん底状態の際に、吉田内閣と言う、的確な戦後処理を行った政府はあったので、その後の昭和20年〜昭和64年の、昭和の年号の終わる44年間も、世界の中でも、唯一戦争のない平和な、時代を謳歌できました。確かに、その後の、現代の令和6年迄の、35年間も日本には、戦争は起きてはいないのですが、昭和の時代の平和な太平楽では、無くなってしまっています。

読者の皆様、宝塚歌劇団は昭和のベルばらブームで、それまでの敗戦一辺倒の歌劇団から、一気に他の歌劇団を圧倒した、戦勝国の様な歌劇団となりました。その後には、紆余曲折はあったものの、また再びエリザベートと言う、金の卵を得て、その後のヨーロッパミュージカルの、隆盛を誇りました。しかし、このタカラヅカは、日清日露戦争の戦勝後の日本と同じ様に、反省点を検証する事も無く、ただただ調子に乗って浮かれしまい、今の様な、体たらくなタカラヅカとなってしまいました。さぁ、今の宝塚歌劇団には、太平洋戦争後の、日本の吉田茂首相の様な、タカラヅカを正しい道へ、導いてくれる人は、現れるのでしょうか?。そうでなければ、本当に哀しいのですが、宝塚歌劇団は、無くなってしまう運命です。