まず最初に断っておきますが、これからの私の語りは、決して小柳ルミ子さんを、ただ擁護する物では有りません。

私と同学年の、宝塚音楽学校56期生81名中の、孤高の首席で卒業した、天才ダンサーを知る者として、一言言いたいと思いました。

皆さん、小柳ルミ子さんと言えば、デビュー曲"瀬戸の花嫁"で華々しく、歌謡界へデビューした当時は、未だ19歳の少女でした。この人がデビューした当時は、ソプラノのファルセットの歌唱法を駆使した、他のアイドル歌手には無かった、宝塚音楽学校仕込みの、タカラヅカ歌唱法なのでした。そして、実は宝塚音楽学校時代から、首席を取る程の人ですから、歌の一番は当たり前でしたが、それ以上に天才的なダンサーなのでした。これは、人からのまた聞き等ではなくて、私は実際に1970年の2月に、宝塚新芸劇場(宝塚中劇場)で行われた、宝塚音楽学校文化祭の、小柳ルミ子さんのダンスを、この目でリアルタイムで観た者として、証言するのです。そして、このTVのバラエティ番組の中で、小柳ルミ子さんの仰っている事は、正しく宝塚音楽学校で、徹底的に教え込まれたアイディンティーなのでした。タカラヅカファンの皆様は、良くご存知の通りに、タカラヅカレビューのダンスの基礎は、クラッシックバレエなのです。それを、予科と本科の二年間に渡り、教え込まれて、やっと宝塚大劇場の初舞台へ立てるのです。小柳ルミ子さんは、確かに性格的には決して、良い人とは言いがたい人ではありますが、とにかく宝塚音楽学校の二年間の教えを、忠実に実践して来た人でもあるのです。この人の、有名な逸話の中に、ご自身の取り扱いのチケットを買って下さった、ファンの人には等しく、必ず手書きのお礼状を、送ると言うのがあります。タカラヅカファンの皆様には、すぐにこのルーティンは、ピンと来ると思います。そうなんです、宝塚音楽学校の授業の中で、先生たちから教わった、タカラジェンヌになってからの、ファンへの心遣いなのです。小柳ルミ子さんは、初舞台後に、直ぐに渡辺プロダクションから、芸能界デビューをしましたが、この行為を一つ取っても、紛れもないタカラジェンヌなのです。年齢は重ねても、世のOGジェンヌと同じ様に、頭の中は永遠の少女なのです。ですから、このTVのバラエティ番組の中で、ルミ子さんはマウントを取るとか、上から目線なんて、ルミ子さんご本人は、全然頭の中には無いのです。だって、81人の中の、ダントツの首席で、卒業しているのですから、宝塚音楽学校の教えを、素直に他の皆んなに、言うのは当たり前なのです。世の中、普通のファンの人には、理解できない事ですが、実際の小柳ルミ子さんと言う人は、世間の人達の考えている様な事は、全然頭の中には無いと、私は思います。