先ほどのブログでは、私なりの宝塚を語りました。同じ様にハマった、近鉄OSKからその解散後の、New OSKや現在のOSK日本歌劇団の事も、語って行きたいと思います。

今から20数年前に、親しくしていた、OSKの娘役さんと、ある夜に食事をしながら、話しをしていた際に、私へ"あのね○○さん(私の事です)、漢字で理不尽と書いて"OSK"と読むのをご存知ですか?"と、言うのでした。私は、この事は宝塚やSKDと共にOSKでも、同じ様に言われて居たのは知っていたので、知ってますよと答えました。OSKも宝塚と同じ様に、OSK日本歌劇学校と言う、宝塚音楽学校と同じ劇団員養成学校を、二年間を過ごしてから、宝塚とは違って、OSKへの入団試験を合格して、晴れてOSK日本歌劇団へ入団するシステムでした。宝塚音楽学校の様な、とても厳しい学校内のお掃除は無かった物の、宝塚音楽学校には決して存在しない、"ピンク化粧"なる物は存在しました。では、ピンク化粧とは何?。ピンク化粧は、近鉄OSKとなる以前からの、OSKの伝統の、舞台化粧の下地のお化粧でした。顔全体的に、淡い桃色へ塗るのですが、2年間の歌劇学校生時代は、学校以外の街中でもこのピンク化粧を施す規則になっていました。私達OSKファンは、その内情を知っていたので、まだピンク化粧の生徒と出会っても反応は薄いのですが、大阪の難波や天王寺へ出かける際にも、このピンク化粧は施さなければならないのは、学校生の子達には苦痛よりも、拷問の様な2年間でしたと、話していました。では、そんなピンク化粧なんて、しなくて街へ出掛ければ良いじゃないと、言われると思いますが、宝塚音楽学校生の阪急電車へ、必ず一礼するのと同じ理由で、いつ何処で上級生と出会うかは?なので、絶対にピンク化粧をしなければならないのが、嫌でしたと話していました。宝塚音楽学校の、教室の掃除なんて、ピンク化粧から比較したら、全盛良いですとも言っていました。この、悪評高いピンク化粧も、New OSKから現在のOSKへと変遷するに従って、無くなって行きました。OSKだけではなくて、SKDも宝塚歌劇団と同様に、存続活動していた時代には、劇団内には"鉄の掟"は、大きく在りました。只、現在の様な時代とは違った、まだまだ昭和の考え方の残った時代で、大目に見て貰えた良い時代でした。