宝塚音楽学校37期生の、花組に在籍していた元ジェンヌさんでした。Wikpediaには38期生とも記されていますが、実際には1950年4月星組公演「春のおどり」で、初舞台を踏まれた、37期生の娘役さんでした。同期生には、花組のトップスターに就任された星空ひかるさんや、長谷川一夫さんの長女の長谷川季子(はせがわとしこ)さん、TVアニメ映画「ジャングル大帝」の、主役のレオの吹き替えをされた太田淑子さんがいました。

宝塚歌劇団を、そのまま居ても役は付かないと見切りを付けて、僅か3年で退団されてから、東京の有楽町の日劇ダンシングチームへ入団されて、一躍トップダンサーになってしまい、この舞台を観た、東宝映画の名プロデューサー藤本真澄氏にスカウトされて、東宝映画へ入社されてから、主に社長シリーズの映画へ、脇役ながら出演をされていました。この、スチール写真はその森繁久彌さんの社長シリーズ物の中で、銀座のバーのマダム役の写真です。

そして、この方の凄いのはこの大映映画へ、社長の永田雅一氏に見染められてスカウトされて、今度は大映映画へ入社をされてからでした。永田雅一さんと言う方は、生涯結婚をされずに独身を通された方でしたが、この中田康子さんは籍は入りませんでしたが、永田雅一氏とは事実婚の仲になり、永田雅一氏の亡くなりになるまで、事実上の奥様でした。この方は、これまでの人生だけでも凄いのに、永田雅一氏の亡くなりになった後には、潔く大映映画を去って、女優も引退されました。そして、郷里の長野県松本市へ帰ってから国立病院へ就職をして、その傍ら松本市内でダンススタジオを開いて、そのダンススタジオを静岡県熱海市へ引っ越してからは、また新たに芸能界へ復帰をして、シャンソン歌手になってから、年末のNHK紅白歌合戦にも出演をされていました。好きで入った宝塚歌劇団でしたが、先が見えないと悟るや、宝塚歌劇団の伝手は使わずに、NDT(日劇ダンシングチーム)へ入ってトップダンサーなってからは、東宝映画と大映映画の、二人もの大物プロデューサーからスカウトされて、自分自身の運命を切り拓いていくバイタリティーは、今の若いジェンヌさん達にも、少しでも知って貰いたいと思うのです。