今週11月1日(木)、月組東京宝塚劇場公演「エリザベート」ソワレを観劇しました。

月担のお友達が用意してくださった席は、なんと下手の3列目!!!

ありがとうございます。

私が2005年から観てきた「エリザベート」で一番の良席でした!

ほとんどオペラはいりませんでした。

 

 

 

この日は、私にとっては、りょうくんトート閣下(月組トップスター 珠城りょうくん)とちゃぴシシィ(月組トップ娘役 愛希れいかちゃん、みやちゃんフランツ(美弥るりかちゃん)、れいこちゃんルキーニ(月城かなとくん)とゆのちゃんルドルフ殿下(風間柚乃ちゃん)のMY初日でした。

 

 

 

りょうくんのトート閣下にはエリザベートへの大きな愛(包容力)を感じ、みやちゃんのフランツにはロイヤル感を感じ、れいこちゃんのルキーニには瞳の奥の狂気を感じ、ゆのちゃんルドルフ殿下には皇太子なのに自分の意志を強く持ったがための悲劇を感じました。

 

 

 

私の推しメンのゆのちゃん、個人的な希望としては、もう少し透明感が欲しかったな。ルドルフ殿下は、ゆのちゃんの持ち味とは違うのかもしれません。

多分、ルキーニの方が持ち味に近いのですよね。

 

 

でも頑張ってほしい。ルドルフには透明感が必要。高貴さからくる狂気に近い危うさを透明感に変えて魅せてほしい。

だって、ルドルフは、「僕はママの鏡」なのだから。(←もちろん、個人の好みの問題です)

 

 

 

ゆのちゃんルドルフの回は、後1回は観れます。

どれだけ進化するか楽しみだし、ほかのキャストについてもまたその時に(多分ゆっくり)語りたいと思っています。

 

 


。。。。。



 

本題のちゃぴシシィ。

 

 

 

実は今朝目覚めた時、仕事の課題の解決策をずっと寝ながら考えていたみたいで、「もっといい方法を考えなくちゃ」と目が覚めた後、実はいきなり、ちゃぴシシィのセリフが聞こえたのです。

 

 

 

「鳥のように自由に空を翔け、永遠の蒼の天空をいけるなら、私は喜びのうちにほめたたえよう。自由という名の神を!!」

 

 

 

 

そして、やっと長年の謎が解けました。(←大袈裟)

なぜ、シシィはトートを最後に受け入れたのか。

トートはなぜ、ルドルフを死に追いやった後に自分を求めるシシィに「死は逃げ場ではない!」といって拒絶したのか。

 

 

 

今までたくさんのバージョンの「エリザベート」を観てきていたのに、どうして気づかなかったのだろう。

私、よほど感性が鈍いのかしら。

 

 

 

シシィの登場シーンに最初に読むこの詩がすべての答えだったのですね。

 

 

 

登場シーンのちゃぴシシィは、今まで観たシシィの誰ともこの詩の朗読場面が違っていました。

考えながら、ゆっくりと、そして今まで観てきたシシィは「自由という名の神を!」を割と叫ぶように言うのですが、ちゃぴはもっと噛みしめるようにいうのです。

 

 

 

 

私、実はこの詩の朗読をする場面で、すでに涙が流れていました。

それは、ちゃぴの卒業という気持ちがここで沸いてきたからなんだと思うのですが、ちゃぴシシィのその透明感に吸い寄せられ、初めてちゃぴを認識した「スカーレット・ピンパーネル」のシャルル王太子のまっすぐな目を思い出し、そして小鹿のように瑞々しいちゃぴシシィの自由を求める幼さに心が共鳴したからだと思います。

 

 

 

小鹿のようなシシィ。

その自由を求めるピュアな心はそのままに、美しい皇后となり、がんじがらめの王室のしきたりに反発し、美しさを保ちながらも年を重ねていく。

 

 

 

フランツの対応に絶望し、そこから生きる意味を見つけて「私だけに」という魂の叫びを歌うシシィ(久しぶりにここで涙が出ました)。

鏡の間での、フランツに美しさを見せつける堂々とした皇后エリザベートとしての姿。

「私が踊る時」のやっと自分の自由に生きる道を見つけた喜びと自信に満ちた表情。

フランツに裏切られた時でさえ、自由に生きられるのだと決意した青白い顔。

病院訪問の場面での「魂の自由」を歌うシシィの孤独な横顔。

ルドルフに打ち明けられたフランツに取り持ってほしいという願いを受け入れられないシシィの冷たい表情。

ルドルフを失ったとき、フランツがいることもわかっていないかのような悲しみと後悔で打ちひしがれたシシィ。

「夜のボート」でフランツとすれちがうシシィの表情を消したような横顔。

それでも自由を追い求めて旅に出るシシィ。

 

 

 

ちゃぴシシィは、舞台上で「自由という名の神」を追い続けていました。

そしてその答えが、行きつく先が、トートを心から喜んで受け入れることだったのですね。

 

 

 

「自由という名の神」が、生命力にあふれたシシィにとってはトート(死の神)だったのだと。

 

 

 

。。。。。

 

 

 

2005年に月組「エリザベート」を観劇しエリザベートの魅力に取りつかれた私は、7つのバージョンの「エリザベート」を生の舞台で観てきました。私が生の舞台で観たシシィ役。

 

 

2005年月組 瀬奈じゅんさん(麻子さん)

2007年ウィーン版日本公演 マヤ・ハクスフォートさん

2007年雪組 白羽ゆりさん

2009年月組 凪七璃海さん(かちゃ)

2014年花組 蘭乃はなさん

2015年東宝 花總まりさん

2016年宙組 実咲凛音さん

 

 

歌が素晴らしかったのはマヤ・ハクスフォートさん、美しかったのは白羽ゆりさん、気品にあふれ本当のエリザベートに見えたのは花總まりさん、トータルで良かったのは実咲凛音さん、とそれぞれそのバージョンのシシィも良かったのですが、これまで一番好きだったのは、じつは麻子さんのシシィでした。

 

 

 

最初に観て嵌った、ということもありますが、一番シシィに共感できたのが、麻子さんだったのです。

 

 

 

ちゃぴと麻子さんのシシィへのアプローチは少し似ている気がしました。

自由な心を持ち続けること。

それは王室がいやだからとか、自分で自由に生きたいから、とかという次元を超え、人とは違う感性で自由でありたいと願うことに決して妥協しない生き方をしていた、ということかもしれません。

 

 

。。。。。

 

 

ちゃぴシシィが観れるのは、確定しているだけで後2回。

 

 

ちゃぴシシィを思い出すたび、なぜだか涙が出ます。

宝塚の娘役としてちゃぴをみるのがラストだからだと思うから。

 

 

 

そして、みりりん(花組トップスター 明日海りおちゃん、みりおちゃん、さゆみし)を想い、また涙が出ます。

それは、みりりんのその日を想起させるから。

 

 

 

もし、みりりんのXデーを聞いたら、私はどうなってしまうのだろう。

心の準備を少しずつしてきているつもりだけれど、今回のちゃぴ姿を見て知らない間にずっと泣いていた自分に動揺するとともに、その喪失感で打ちのめされているこの状態を考えると、その日に立ち向かえる気がしません。

 

 

こうして書いているときも、涙が出ます。

けれどその日は必ず来る。

近かろうが遠かろうが必ず来ます。

 

 

 

悔いが残らないように、自分なりに応援するしかない、と自分に言い聞かせています。

 

 

 

さて、仕事の宿題もあるのですが、それは明日に回して、今日は劇団四季「アラジン」を娘と観てきます。

アラジンを見るのは2回目ですが、前回とっても楽しかったので、今日も期待しています。

みりりんも舞浜アンフィシアターで「アラジン」の「A Whole New World」を歌うのですよね。

 

 


今日も一日が始まります!



 

 

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