【24年1月13日探索・6月13日公開】

 

現在地はこの辺

今度は本牧通りから桜道橋を見上げた。

 

 

 

真下からも見上げてみた。コンクリート部分はオリジナルなのだろうか?

 


 

さて、今度は山手隧道だ。草で隠れているが正面左側には「山手隧道」の扁額があり、右上にも扁額がある。

 

 

 

その扁額の中身は昭和2年12月 復興局という文字だった。

 

 

 

内部はおそらく巻立て部分の補修がなされているものと思われる。

 

 

 

北側に抜ける。

 

 

 

振り返る。こちらも左側に山手隧道、右側には復興局の扁額があった。そして、右下の方には・・・

 

 

 

2015年度の選奨土木遺産のプレート、横浜市認定歴史的建造物のプレートが誇らしげに掲げられていた。

 

 

 

上下車線の合流地点まで行き、今度は左側の道路を進んでいく。

 

 

 

第二山手隧道ももう一度見ておこう。左側の石垣、市電時代のものではないかと思うが、どうだろうか。

 

 

 

第二山手隧道、元は横浜市電の隧道だったそうで、明治44年竣工らしい。市電廃止後に道路隧道に改修された。

 

 

 

昭和47年の市電廃止の後で改修された。銘板はその改修時のものだろう。

 

(おわり)