【24年5月19日探索・6月2日公開】

 

この連載の続きになる。

私はずっと竈門炭治郎の出身地(公式には東京府奥多摩郡雲取山)を今の住所で言えば「東京都西多摩郡奥多摩町日原」ではないかと思っていた。しかし、もう一度地図をよく見て、大字)日原、つまり旧日原村だけに絞るのは違うのではないかと思うようになり、このテーマに旧小河内村の(大字)留浦、川野あたりは候補に入れてみようという気になった。街に炭を売りにいくシーンがアニメでもあったが、その場所が現在奥多摩湖の湖底に沈んでしまった旧小河内村中心地あたりであれば可能性あり、か。で、今回着目したのはくな集落だ。今昔マップでも昭和52年版にだけ描かれている。アプローチが徒歩道なのは気になるな。

 

現在地はこの辺

東京都西多摩郡奥多摩町留浦 国道411号線、竹の花を抜けた先を右折する。

 

 

 

この辺は小留浦集落になるようだ。ただ、この家屋もどうも生活の匂いが感じられない。

 

 

 

 

とりあえずは車道が続いている、が、けっこう急だ。大正時代にこの道がどのような状態だったのかわからないが、荷車を押して上るにはけっこうキツイ勾配だ。

 

 

 

100mほど進んでいくと1軒家屋が見えてきた。

 

 

 

木造の、かなり古い感じだ。大正時代の建築ではないのだろうが。

 

 

 

さらに50mくらい上にも家屋があった。

 

 

 

車道はどうもここで終わったようだ。

 

 

 

車道最奥の建物だが、ここも住人がいるのかどうかは不明だった。

 

 

 

家屋の先には方丈ラーメンっぽい見た目仮設橋のような橋があった。

 

 

 

作業用か。対岸には何があるのだろうか?

 

 

 

家屋裏手には倉もあった。生業が何だったのかはわからないが、倉が必要なほど儲かっていたという事か。

 

(その2へつづく)