【19年4月28日探索・7月1日公開】

 

アメーバブログではアクセス数は自分の管理画面でしか見る事が出来ないようだ(外部カウンターの設置はできるが)。

なので、こんな画像を用意した。昨日23時39分時点でのアクセス数合計が1万を超えた。

私はヤフーブログにいた時に、移行後1万アクセスで記念企画を連載すると書いた。20日位はかかると思っていたので、それまでにはアメーバブログに慣れるだろうという読みだったが、嬉しい誤算が起き、わずか1週間で1万アクセスを突破した。

★皆様、当ブログへの訪問、本当に有難うございます★

 

そんな訳で、記念企画という名の自己満足連載にお付き合い頂こう。

今回訪問したのは、かつて愛知県新城市から設楽町まで運行されていた豊橋鉄道田口線跡になる。ネタ自体新鮮味がない事は承知しているが、ここは以前より気になっており、そして設楽ダムが建設されると終点の三河田口駅周辺が水没してしまう事を知ったので、その前に見ておこうと思った次第だ。

 

 

 

前日には掛川隧道巡りを行い、豊川市内のネットカフェにて宿泊、そして1番列車で降り立ったのが新城市の本長篠駅だ。

駅舎側にかつての田口線ホームがあったそうだ。写っている部分がそうなのかな。

 

 

 

駅舎正面だ。

大正12年開業の歴史ある駅だが、現在は簡易委託駅だ。

私が訪問時には駅員は不在だった。

 

 

現在地はここ

地図を見ると線路跡の道路がよくわかるんだが、その始まり部分がここになる。

黄色矢印が線路跡になるんだが、ちょっとだけ右側を覗いてみよう。

 

 

 

ここが中央本線からの分岐点だった場所だ。

 

 

 

田口線廃線跡をたどる旅、スタートだ。

 

 

 

このあたり、桜並木が続いている。河津の桜並木という看板が近くにあったが、河津桜なのか??

 

 

 

最初の隧道が見えた。内金隧道という。

鉄道っぽさが残っていてなかなかイイな。

昭和4年(1929)開業区間だが、煉瓦や石の隧道ではなかった。

 

 

 

その内部だが、老朽化のせいかネットで補強されていた。

 

 

 

中心部は素掘りだった。

鉄道トンネルでは珍しい部類だ。

 

 

 

現在地はこの辺

朝早くである事もあるのか、交通量のほぼない道を進む。

道路は左側を行き、現・県道と合流するんだが、鉄道跡は右側の道だになる。

 

 

 

右の道を進むと、ほどなく舗装は途切れる。

 

 

 

線路跡ははっきりしなくなったが、側溝用の部品が転がっている場所があった。

鉄道時代のもの??

 

 

 

その先はこんな光景になる。

これぞ、廃線跡という感じだ。この光景をサイト等でも見た記憶がなかったんだが、雰囲気はなかなかイイ。

 

 

 

現在地はこの辺

県道と左側の川(大井川)をここで跨いでいた、その一番の遺構が、大井川橋梁の橋脚になる。

真ん中付近のツノのようなものは何だろう?

 

 

 

県道32号線を進む。1.0kmのキロポストを過ぎた。

 

(その2へつづく)