【10年1月11日・14日探索、1月18日公開】

 


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≪2枚目画像は中心点、廃橋は目印位置≫

 

 

 

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これは昨日の記事でもアップした軌道の全体図である。

 

 

まだ御覧になっていない方は、この稲田軌道と呼ばれている石材運搬軌道についても簡単に触れてあるので、是非とも御覧頂きたい。

 

 

3路線もあるとどこから探索しようかと迷っていた。結果としては中央の路線の稲田駅付近を見た後に、地図では右に描かれている、大郷戸方面に伸びていた路線からの紹介となる。

 

 

 

 

 

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稲田駅の笠間寄りのホーム端付近である。中央の路線の軌道終端位置はこの付近である。
かつてはこのあたりで石の積み替え作業が行われていたと思われる。

 

 

 

 

 

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軌道があったであろう場所には石材販売会社があった。
たぶん、無関係ではないと思う。

 

 

 

 

 

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その、石材販売会社を回り込んだ狭い路地が軌道跡と見て間違いなさそうだ。

 

 

この付近の石が軌道の遺構の再利用なのかどうかは不明だが・・・

 

 

 

 

 

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軌道跡はこのまま稲田川を渡っていたはずだ。その渡河位置だが、川の護岸が不自然な石積みでかさ上げされている箇所が怪しかった。

 

 

 

 

 

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反対側からも見てみた。同じ位置が、対応するような形でかさ上げされていた。ここが橋の架かっていた痕跡と見て間違いないようだ。

 

 

中央の路線はこの先、国道を越えた場所までは怪しい箇所が1箇所だけあったが痕跡がいったん途絶える。

 

 

 

 

 

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さて、私は右側の路線も気になっていた。
1枚前の画像の場所から20mほど東方向に進んだ。

 

 

あれ!!

 

 

赤丸の場所に何かあるのを発見した。

 

 

 

 

 

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カメラをズームにした。そこには橋が架かっていたのだった。

 

 

・・・いや、橋があるかもしれない事は地図を見て事前に予想していた事だった。

 

 

それよりも私が気になったのはその造りである。これは、まさか・・・

 

 

 

 

 

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橋に近付いた。

 

 

そして、私は失禁しそうな程驚いた。

 

 

この橋台といい、橋の造りといい、これは間違いない。
 
私は、この橋を石材人車軌道の遺構と確信した。

 

 

 

 

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見るからに廃橋であるが、橋桁はしっかりしているようだし、渡橋を咎める注意書き等も見当たらなかった。
橋台部分がやや崩れかけてはいるが、今さら60kg程度の荷重があっても大丈夫と考えた。それに万が一落ちても致命傷になる高さでなかった事もあった。

 

 

よし、渡ろう。

 

 

 

 

 

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見た目は相当怪しいが、やはり桁はまだしっかりとしており、意外とすんなり渡れた。

 

 

ところで、私がなぜここを軌道の橋であると断定したのかと言うと、もう一つ確かな状況があったからだった。それは・・・
(その2へつづく)