埼玉発 おとなの小探険
  • 19Aug
    • 東京都奥多摩町 幻の橋・思案橋探索記(その1)

      【19年1月14日探索・8月19日公開】現在地はここ東京都西多摩郡奥多摩町白丸 国道411号線を通過した事のある人なら、この場所は特徴的だ。私はこのアーチ橋の向こう側に、今回の探索のちょうど1年前に探索している。今回もこの場所の画像からのレポスタートとなったが、それは一つ新発見があったからだった。「四三東通出試第二三二九号鉱区」という看板が橋の近くに転がっていたのだった。この先の謎の場所の名前はこれなのか??さて、今回の目的地はこの国道411号線、滝ノ澤橋の下流に架かる橋だ。国道411号滝ノ澤橋から下流方向を覗く。見えないな・・・ちなみに現在地はここになる。ここまで地図の縮尺を拡大すると、下流に橋記号がある事が見て取れる。そしてその橋だが、「ゼンリン住宅地図」には「思案橋」と書かれていた。もちろんネット上には何の情報もない。これは何とか行ってみて、自分で見てみるしかないな。現在地はここ青梅方向に100mほど移動した。ヘリオス号はここに待たせておこうか。ところでこの場所・・・右を見る。JR青梅線・昭和19年製竣工のラーメン橋が架かる場所だ。道端には馬頭観音と石仏があった。ここが目的地への入口になる。この先、目的の橋までは下り坂になっているようだった。(その2へつづく)  

  • 18Aug
    • 愛知県設楽町~新城市 国道脇の戦前橋・市代橋

      【19年4月28日探索・8月18日公開】★公開から約22時間、この記事のタイトルを「田代橋」としていましたが、クイックさんのコメントにより、再度看板をよく見た所、「市代橋」と読み取れたので、記事のタイトルを修正いたします。おそらく誤っていた情報を出してしまい、申し訳ありませんでした★現在地はここ愛知県北設楽郡設楽町 国道257号・473号の重複区間を走行中、左側の豊川に古そうな橋が架かっているのが見えた。その橋の手前にはダブルの国道おにぎりがあった。でも、257号線の方、見えないんですけど・・・橋の方を見てみよう。路面は未舗装のようだ。橋の上も未舗装?珍しいな。親柱と、錆びて見えにくい看板があった。橋の名は田代橋であるようだ⇒追記:市代橋が正解と思われる。こちら側の親柱からは他の情報は得られなかった。渡橋しよう。鉄のパイプであったであろう欄干の跡があるが、現在はその支柱が残るのみだ。流された? あるいは戦時供出?豊川の流れ、下流方向を見た。水量は多くなかった。渡った先、左岸側は新城市になる。こちら側にも親柱がある。何かわかるかな?「ち」で始まる、どうも橋の名であるようだが、この橋は田代橋ではないのか??⇒追記:この橋が「市代橋」であるという前提でこのホーロー板を見ると、ちょうど錆で見えなくなっているが「いちしろはし」と書かれていたのではないかと推測できる。昭和7年(1932)4月改築と読める。改築という事は、そもそもはさらに前の時代の橋という事か??戦前橋という事は、金属製の欄干は戦時供出で失われた可能性が高いかも。下流方向から見たサイドビューだ。87年も前に架かった(改築なのでもっと前の時代かも)いろんな歴史を秘めたであろう橋、健気だな。(完)  

  • 17Aug
    • 群馬県富岡市 親子のような踏切

      【19年3月17日探索・8月17日公開】現在地はここ群馬県富岡市七日市 上信電鉄が国道254号線を横切る場所だ。当然、踏切があるが、よく見ると右側にも小さな踏切が設置されている。国道を横切る踏切は一峯踏切という。第1種(警報機・遮断機あり)踏切で、踏切番号65が与えられていた。どちらかと言えば隣の小さな踏切が気になる。が、その前にこの架線柱もキニナル。架線柱はレール製だった。CARNEGIE 96 という刻印が見て取れたが、アメリカ カーネギー社のレールで、1896年製?こちらは小さな、第4種(警報機・遮断機ともになし)踏切だ。踏切の名は無い様だが・・・踏切番号はわかった。64-1という枝番ありの管理番号だ。利用者がどれだけいるのかはわからないが、渡った先は何となく怪しげな雰囲気だ。ついでに、数歩先で振り返った。こちら側からだと線路を挟んで急に開放的になる。ギャップがすごいな。(完)   

  • 16Aug
    • 埼玉県吉見町  岩窟ホテル跡と岩室観音(後編)

      【19年6月2日探索・8月16日公開】階段を下りたところで、こんな看板を見つけた。この文面をよく見ると、諸難は取り除けるのか、諸難は対象外なのか、何とも微妙な書き方だった。結局、道は自分で切り開けという事か??矢印が示す方向へ向かおう。でもその前に、手前の階段とその上の石仏が気になるよな・・・なぜこの場所に建立されたのか(よく読み取れないながらも、どうも奉納された石仏っぽい)、どのような意味を持つ石仏なのか、わからなかった。次に、胎内くぐりだ。この左側、鎖の補助があるので、それを利用する。ハート形の・・・そう言われればそんな感じか。あまり多くの事は望まずに、胎内くぐりをしてみよう。抜けてから振り返った。こちら側から見た時の方がハート型だな。その先にも登る道がある。少しばかり滑るが・・・特に案内はないが、しっかりとシングルトラック道は延びていた。どうもこのあたりは松山城の敷地跡であるようだ。ここに兵糧倉があったそうだ。城跡に入ってから、引き返すポイントを探していたので、これにて引き返そう。(おわり)  

  • 15Aug
    • 埼玉県吉見町  岩窟ホテル跡と岩室観音(中編)

      【19年6月2日探索・8月15日公開】階段を上がったすぐ左に、まずは石仏群があった。ここには88体の石仏があり、四国の88ヵ所霊場の本尊を模したものであるらしい。何でも、ここ1か所の参拝で四国88ヵ所を巡ったのと同じ功徳があるとか・・・全国にある富士塚のようなものだろうか?この観音のはじまりは何と約1200年前であるそうだ。今度は反対側にある石仏群を見る。私は1体ずつの謂れがわからないが、こういう洞窟内にある石仏は、それだけでオーラを感じる。急な階段が2ヵ所設置されていた。手前のは最近設置した??そんな階段を上がると、どちらを使っても同じフロアに出る。この奥に岩室観音様が鎮座しているようだが・・・隙間から覗き込んだ。肉眼ではわかったが、画像にしたらよくわからない仕上がりになってしまった。そんな「2階」から見た北側だ。何か、謎の階段はあるし、気になるよな・・・(後編につづく)  

  • 14Aug
    • 埼玉県吉見町  岩窟ホテル跡と岩室観音(前編)

      【19年6月2日探索・8月14日公開】現在地はここ 埼玉県比企郡吉見町大字北吉見 東松山からだと市野川を渡り、吉見百穴方向へ向かう途中にこの光景がある。そう、この右側だ。かつては本当にホテルであったらしい。正式名称は岩窟ホテル高壮館というそうだ。実際に宿泊が出来たのかどうかはわからないが、昭和初期から昭和40年頃までは観光名所となっていたそうだ。残念ながら敷地内には入れない。出来る事なら見てみたいと思う。岩窟ホテルの、すぐ隣にあるのが、岩室観音だ。ちなみに、この日は行かなかったが、吉見百穴もそこからすぐ先にある。えっ!? わからないって?ズームアップするとこんな感じだ。改めて、岩室観音、行ってみよう。左側に石仏があるが、元文3年(1738)と刻まれているものがあった。  まずは、階段を上がってすぐ左側・・・(中編につづく)  

  • 13Aug
    • 東京都新宿区 モザイク通りのトマソン階段

      【19年7月20日探索・8月13日公開】現在地はここ東京都新宿区西新宿 モザイク通りだ。新宿ミロードと言った方がピンとくる人も多いかと思う。この先に目的のモノがあるらしいんだが・・・新宿駅北口近くだ。この先、右側!!ここに、上がって下がるだけのトマソン階段があった。4段上がって何があるわけでもなく、数歩歩いて4段下り、その先何事もなかったかのように通路は続く。上か下に動かせない何かがあるんだろうか??  

    • 生還はしましたが・・・

      つい先程、帰宅しました。午前中の段階でヤバそうな感じだったので、早めに計画変更し、生還する事を優先させました。そのまま進んでたら、帰って来られなかったかも・・・ここ、これでも現役の県道なんですが・・・ 

  • 12Aug
    • 遠征中のため小ネタでごめんなさい

      今、福島県会津若松市内にいます。本日は始発の気動車に乗って、1日かけて探索予定です。成功すれば、大ネタになるはず・・・さて、どうなる事やら・・・画像は静岡県掛川市内、いやに開放的な公衆トイレです。  

  • 11Aug
    • 千葉県富津市 県道182号未成区間(後編)

      【19年2月3日探索・8月11日公開】現在地はここ現道を進む事約150m、現道に橋が架かっていて、その左側に未成道の橋も見える場所があった。現道の橋は山中橋、昭和46年竣工だ。未成道の橋のサイドビューはこんな感じだ。で、その銘板を探してみたらあった。未成橋の方も、現道と同じ名、山中橋だった。2004年6月の竣工という事は西沢橋よりも3年も古く、放置状態はほぼ15年にも及ぶ橋だった。では、こちら側も見てみよう。ここで、進行方向を150度ほど変える。新・山中橋を見る。完成後15年も使われることもなく佇んでいたかと思うと、ちょっと不憫になる。ようやくそれが動き始めたという事になる。新・山中橋も銘板は設置されていない。その先だ。3本の真ん中の橋をこちら側から見た。この橋の名が気になるな。反対側は真新しい橋台が設置されつつあるが、こちら側は・・・こちら側は15年前に一応完成されたっぽいが、このまま使うんだろうか?同じ場所で反対側を見た。橋は先ほどの新・山中橋で、その先のトンネルは山中トンネル、銘板では2006年竣工という事になっていたが、拡幅改修の時期なのでは??(おわり)  

  • 10Aug
    • 千葉県富津市 県道182号未成区間(前編)

      【19年2月3日探索・8月10日公開】千葉県富津市山中 県道182号上畑湊線だ。この先にちょっと特筆すべき区間があった。現在地はここここも未成部分であるようだ。そのすぐ先は・・・大きなカーブの旧道区間があった。送電線はまだ旧道経由でるようだ。さらに90mほど進むと、けっこう有名な未成区間があった。その先の未成区間だ。県道をバイパスする橋が3ヵ所かかる事になるはずの区間だが、航空写真で見る限り、そのうち真ん中の1本が架かっていない状況でずいぶん長く放置されていた。そんな未成道だが、どうやら最近になり工事が再開されたようだ。橋の銘板はない。重機がこの先通せんぼしているっぽいが・・・この先50mくらいは道が出来ていて・・・真ん中の橋はまだ架かっていないが、橋台の工事が進んでいた。手前の橋に戻り、さらに、反対側へ行くために現道を進む。され、先ほど銘板の無かった橋だが、その下の桁部分をよく見たら・・・銘板が見つかった。西沢橋という名前であることがわかった。2007年3月竣工、12年は放置されていた事になる。(後編につづく)  

  • 09Aug
    • 茨城県日立市 昭和のバラック飲み屋街・塙山キャバレー

      【19年4月7日探索・8月9日公開】現在地はここ茨城県日立市大久保町 国道6号線塙山十字路という交差点だ。国道6号線を挟んだ反対側、金沢町にあるバラック街が気になった。駅からはけっこう遠い。塙山キャバレーと呼ばれる一帯だ。ここ、駅からはそれなりの距離があり、立地的には車での訪問が便利だ。しかし、駐車場は無いそうだ。この奥に行ってみようか。その前に・・・トイレは、割と清潔が保たれているようだ。古そうな事はどうしようもないようだが。店舗は20軒くらい、トイレは3ヵ所(4ヵ所かも)あった。戦後からのバラック街の生き残りという事か??昼間だったので怪しさは無い。道路が未舗装なのもイイ。このエリアは2014年に火事で焼失してしまったエリアだそうだ。こんな昭和感満載の場所、好きだな。(完)  

  • 08Aug
    • 神奈川県三浦市 雨崎廃キングコース(その6・最終回)

      【19年2月17日探索・8月8日公開】階段を見つけた私は意気揚々と進んだ。しかし、その階段を上がった先で、道は不鮮明になった。そんな場所に看板らしきものが落ちていた。他にも文字が書かれていたんだろうか?今現在、普通に読めるのは「3人」という文字だけだった。かつてはここに華奢な吊り橋が架かっていた、とか?ここで海の方を見ると、特徴的な岩場が見えた。この場所から、直線距離では10mくらい向こう側が元々の撤収地点であるはずなんだが・・・下りて行ける道があれば、撤収地点を確認し「私の勝ち」になるんだが、そんな道はなかった。代わりにあったのは現役かどうか不明のハニーボックスだった。あの階段は何のためのモノだったんだろう?道も踏み跡も見えなくなった。崖を登っていくと、上に出られそうな場所があった。こうなったらもう脱出しよう。上に出た。ちょうどこんな場所だった。ここはどこだ??こんな一面キャベツ畑の場所なんだが・・・少し歩いたら、何か、見覚えのあるようなものがあった。やっぱりそうだった。防衛省管理と思われる掩体壕?の場所だった。(おわり) 

  • 07Aug
    • 神奈川県三浦市 雨崎廃キングコース(その5)

      【19年2月17日探索・8月7日公開】現在地はこの辺地図(航空写真)で見ると、反対側の撤収地点まで、ここから直線距離で60mといったところか。果たしてその撤収地点を見る事ができるのか?シングルトラック道(かつてのハイキングコース?)はこの数メートル先で右に曲がっているようだ。崖を下りるような地形だった。そして、そのコース上にはそこそこ太いロープが設置されていた。ハイキングコースとしてはけっこう険しいレベルだな・・・そのロープの先には・・・私は自分の目を疑った!そこには別のロープが張られていて、それはなんと、この海辺の崖をこのロープで越えようという、ハイキングコースにはあるまじき道が続いていたのだった。よく見るとロープのすぐ下に数センチの窪みがある。私は何とかこれをクリアすべく突破を試みた・・・しかし、諦めた。実際、ここが現役のハイキングコースだった時に、この難所をこんなヤバい方法でクリアしていたとは考えづらい。橋でも架かっていたと考えるのが自然か。直線距離であと約40m、空白区間を残すことになってしまったが仕方ない。撤収しよう。反対側を見た。けっこう絶壁だったりする。またこのロープを利用し・・・ここで右を見ると・・・あれ?こんな階段があったんだ。これこそが本来のハイキングコースだった道か?これをたどると撤収地点が見られるかも・・・(その6・最終回につづく)  

  • 06Aug
    • 神奈川県三浦市 雨崎廃キングコース(その4)

      【19年2月17日探索・8月6日公開】現在地はここ海に近づいてきた。ここまで海辺にもキャベツ畑があった事は意外だった。ちょっとネットで調べた限りでは特にキャベツが塩害に強いという事もないようだが・・・車道終点にヘリオス号を待たせておこう。ここからは単独で進んでいく。再び、海に出た。遠津浜海岸という場所らしい。プライベートビーチ感が半端ない。左を見た。ずいぶん目的から遠ざかっていたが、私は海岸沿いのハイキングコース跡を巡っているので、ここは左へ進む。こんな岩、進むのは危険なのでは??と思いよく見たら、岩を削って造ったであろう階段がある事に気が付いた。これ、かなり怪しげだが、ハイキングコースだった道であろうか。小さな岬の突端部の平場だ。私は左方向から来たんだが、この後の進行方向は矢印が示す方向になるんだが・・・右側も進める場所がないかと探してみたが、こんなヤバい岩があった。この先にコースが見えたら行かざるを得なかったという事か??一応、これが進むべき道、なのか??(その5へつづく)  

  • 05Aug
    • 神奈川県三浦市 雨崎廃キングコース(その3)

      【19年2月17日探索・8月5日公開】現在地はこの辺探索時には気が付かなかったが、足跡がある。冬場であっても多少はここに来る人がいるようだ。ところで、先の方、落石か?落石という規模じゃないな。けっこうな崩落があったが、すり抜けは可能だ。その先にあった崩落なんだが、これ、一体上から何が崩落してきたんだ??いよいよ、ハイキングコースの難所に差し掛かる事は予測できた。波打ち際を飛び石のようなステップで越えるんだろうという事が肉眼では見えていた。右の方にもステップが転がってるし・・・画像では伝えきれないと思うが、波が来るとこのステップは完全に波で隠れる。波が引いて次に波が来るまでの間、約4秒でこれを身軽に通り抜ける必要があった。そもそもこのステップに全体重を乗せて大丈夫なのか??・・・これは、撤収しよう。迂回中・・・中央上部に何かの構造物発見!!現在地はここ何かの倉庫系の建物だと思うが、近年のものではない事はすぐにわかった。防衛庁の境界柱が建っていた。自衛隊絡みか、太平洋戦争の遺構か?掩体壕か?にしては入口が狭すぎるか・・・その裏側だ。山に見えるようカモフラージュされている。そうなると、戦時中の遺構という可能性が高いな。現在地はここここを右折してみよう。どうやら海に下りていく道だ。(その4へつづく)  

  • 04Aug
    • 神奈川県三浦市 雨崎廃キングコース(その2)

      【19年2月17日探索・8月4日公開】現在地はこの辺元の道はもっと広かったのかどうかわからない。少なくとも現在ではシングルトラックの道を進んでいくと、左の藪の中には・・・ショベルカーに続き2台目の廃車があった。原型を留めていない廃車だが、元は青い車だったようだ。突当りになった。この先、右側に進むんだが、左に行くと・・・海に出た。左に延びている道は海洋センターの裏側を通って、昨日のスタート地点まで行けるものと思われるが、本来の道に戻ろう。右の道を進もう。密猟に関する看板を見ながら進んでいく。この遺構は何だろう??砂の多い海岸線から岩場になるようだ。また砂浜になった。50mくらい先に何かあるようだが・・・自作風の休憩所??私がこの場所を冬場の探索に選んだのは、別の理由からだと先述した。ここは千葉県の通称・釣師海岸同様、ゲイたちの楽園であるらしい。そんな噂を聞いていたので、人がいない冬場に訪問した。噂が本当なら、ここで「ハッテン」してしまう事もあるのかもしれない。(その3へつづく)  

  • 03Aug
    • 神奈川県三浦市 雨崎廃キングコース(その1)

      【19年2月17日探索・8月3日公開】現在地はここ神奈川県三浦市南下浦町金田 県道215号上宮田金田三崎港線だ。三浦海岸駅からバスに乗ると小浜というバス停の場所なんだが、ここから海沿いの道はかつてハイキングコースだったそうだが、危険という理由で現在は使用されていないという。そうなると、俄然気になる。この場所はまた別の理由もあり、冬場の訪問とした。ここを左に、県道を逸れると・・・ ここはまだ漁港エリアのようだ。30m先にバーがあるようだが・・・回りくどい言い方をしているが、要は通行禁止になっているようだ。道はちゃんと繋がっているんだがな。まあ仕方ないか。すんなりと引き下がるのはちょっと悔しかったので、現在開発中のエアドローン(!)で先の様子を伺った。これを進めれば楽だったんだが、仕方ないので迂回しよう。現在地はここ300mほど県道を進みこの細い道から行ってみよう。県道とはあっという間に標高差がついた。道路の幅員は基本、軽トラサイズのようだ。キャベツ畑、あまり見かけないので素敵な景色だ。白い建物が三浦市東部浄化センターと思われる。という事はこのあたりから左に行きたいところだ。左側の、あれ、何だ??ビニール製のトラ・・・??カラス除け?効果あるのかな・・・現在地はここ同じ場所で少し左を見た。ここから行けるものと思われた。チェーンが張ってあった場所があった。文字は見当たらないのでそのまま進む。するとこんなショベルカーの廃車が道端の草むらに放置されていた。なぜ放置されてしまったんだろう??(その2へつづく)  

  • 02Aug
    • 静岡県掛川市 明治中期の煉瓦隧道・青田隧道

      【19年4月27日探索・8月2日公開】現在地はここ静岡県掛川市上張 県道38号掛川大東線だ。この先、左が旧道で右が現道だ。私は当然左を進んでいくんだが、一応現トンネルも見ておこう。これが新トンネルである新青田トンネルだ。扁額に昭和48年10月竣工と刻まれていた。新トンネルと言っても歩道は無いし、既にそれなりの年季が入っている。先ほどの分岐に戻り、旧道を進む。ちなみに右側はお茶畑だ。そして現れたのが青田隧道・明治28年(1895)竣工だというから、既に120年以上が経過している。大正県道・相良掛川線として指定されていたという交通の要所だったようだ。高さ制限3.0mの標識もあまり目立たないし、煉瓦隧道である事もあまり目立たない。4連巻立ての坑口はあるが、いやにシンプルなデザインだな。煉瓦の落下防止と、暗いイメージを払しょくするためだろうか、パネルが両側にずっと続いている。この青田隧道、新青田トンネルよりも低い位置を通っていて、そのせいか(現道には歩道がない事もあろうが)自転車や歩行者の通行はけっこう多い。新青田トンネルの延長が87mなのに対し、青田隧道は224mと3倍近い長さになっているという事も、他の新旧隧道の位置関係とは違う、そういう意味でもレアな隧道だ。天井部分は煉瓦である事がわかる。隧道中央部だけがなぜかパネルの巻立てがない。しかも、何かジョイントといった感じがする感じで、この場所だけ幅員が若干広い。照明跡??反対側に出てきた。こちら側もかなりシンプルな意匠だ。・・・ところで、私が行く先って、よくこの看板があるんだよな(苦笑)。よそ者のオッサンは通報されないように気を付けよう(笑)。左側の石垣は建設当時のものかもしれない。鬱蒼としたエリアは100mも走ると解消する。この先50mで現道と合流する。(完)

  • 01Aug
    • 東京都奥多摩町 鳩ノ巣東踏切

      【19年1月14日探索・8月1日公開】現在地はここ東京都西多摩郡奥多摩町棚沢 国道411号線棚沢橋だ。この先を左折した先にある踏切が今日の主役なんだが、その前に、今いる橋の構造を見てみよう。と言いつつ、こんな角度でしか写せなかったんだが、コンクリートアーチ橋である事はなんとかわかった。竣功は昭和52年、もっと古い橋を期待したんだが、思ったよりも新しかった。棚沢橋の橋詰部分から階段を上っていくと・・・すぐには着かない。もう少しだ。階段の先にあるのが警報機なし、遮断機なしの第4種踏切、鳩の巣東踏切だ。私は階段でここまで来たが、鳩ノ巣駅前から坂道で来るパターンもあるようだ。坂道でここまでやって来たとしても、踏切はバリアフリーではないようだ。鳩ノ巣駅からほど近い、構内と言ってもいいくらいだ。鳩ノ巣駅は2面2線のホームを持つ駅なので、踏切から見える光景は複線だ。でも、青梅線は単線なので、青梅方を見るとこうだ。踏切の先は、登り坂を上ると集落に出る。この踏切しか集落へのアクセスルートが無ければポイント高いんだが、青梅街道の旧道に当たる道路があり、そちらからも行く事ができる。撤収途中で、ちょうど電車が通った。いつも思うんだが、この区間にはE233系のステンレスカーが似合わないよな・・・(完)