6月5日は「環境の日」だったんだって。「へぇ~」としか…。


 あの、政治資金規制法の改正とか、政策活動費公開とかで、ぐだぐだ鍔迫り合いみたいなことをやってる自・公+維新vs野党なんか見てたら、多分、あの人らはこの国の環境の未来とか、絶対頭の片隅にも無いだろうなと、思ってしまった。が、環境関連の予算とか調べてみると、一応、なけなしではあるけど、ある。ただ、それも国際的な脱炭素の流れでやってる感は否めない。先進工業国は経済成長の為にこれまで多くのCO2を排出してきてるから、やむを得ないというところか。


 いつも、学者や評論家が「経済成長」をその国の力みたいに表現するの当たり前に言うことに疑問をもっていた。

 何十年か前には何かの国際会議で「成長の限界」についての論議があったようだ。ただ、やはり、そうしたことには反発があったせいなのか、その議論はあまり広まらなかったのだろうか。最近目にする「持続可能な開発目標」は「成長の限界」を言い換えたのかもしれない。


 維新の会にしても、サンジャポでのホリエモンの発言にしても、海の埋め立てがどれ程環境に悪影響を及ぼすか、一顧だにしてないだろう。これは、福岡の人工島や諫早干拓事業をした国土交通省の発想と根っこはおなじだ。自民党の中でも強い発言力を持つそうしたグループによって、恣にされているうちは、日本に明るい未来があるとは思えない。

 それにしても、あのての勉強出来る人たちって、結局、自分等以外の多くの国民は頭悪いと見下してるんだね。その、「勉強出来る人達」が沢山集まっている霞ヶ関なのに、どうして日本のこの状況を良くするアイデアがでてこないんだろう?それとも、そんなつもりもないのか?