そもそも、なぜこれを思いつくに至ったか。流れが分かりやすいと思うので記しておく。


 二つあって、ひとつはバブル崩壊後、政権交代したり、何人もの総理が替わったにもかかわらず、大きな流れは変わらない。根本的に政治の向いている方向が間違ってるんじゃないかと。「失われた10年」が「20年」になり、「30年」になり、それでもまだ、政府は同じことを続けている。あの、田中角栄氏の「日本列島改造論」の頃から自民党はほぼほぼ変わっていないし、おそらく、自民党議員の地元の有力者の頭の中も変わっていない。だから、今回の様なことが幾度も起こる。あ、思わず話が逸れた(^_^ゞ

 話を戻すと、この50年生き続けている「日本列島改造論」が日本の混迷の元凶なのだろうと。因みに、『観光立国』は港湾、空港、鉄道、道路等の整備と高層ホテル建築や都市再開発の大義名分になるので、「シン・日本列島改造論」とも言える。


 二つ目は、30年近く前に、ある環境活動をしている人に私的に取材させていただいたことに始まる。その方は、干潟の環境を守る活動をされていて、私はひと通り干潟や浅海域について予習をして、お話を聞き、その方の活動や当時の環境行政などについてまとめた。その時に解ったのは、


「海は海だけで成立してるわけではなく、本当は山林、農耕地、河川が『水』を介して深く繋がっていた」


という、ごくごく当たり前のことだった。それまで全く気づいてなかった事を猛省した。ただ、残念ながら「繋がっていた」のは昔の話で、この事について順を追って書いていく。この点は「日本列島再生論」の肝でもある。

 

 以上の2点から考えて、「日本列島改造論」の全く逆をやればいいのではないかという、まぁ、いわば安易な『逆転の発想』である。


 もちろん、物流インフラなどの社会資本整備が一定程度必要なのも確かだ。ただ、現状、本当に、絶対必要という理由で作ってますか?という、以前良くいわれた「政官財の癒着」や「地元との繋がり強化」でやっていないか?という、バブル迄の発想がいまだ根強く残っているのではないかと思ってしまう。ま、今回の様なことが何回もあれば、誰だってそう思うよね。誰のための社会資本整備なのか、本来の目的から逸脱してるのではないかと。