パロマのガス器具で発生した死亡事故に伴う裁判で有罪判決が旧経営陣に下ったことに関してのエントリを書いたら色々な反響があった。

私がこの問題を聞いて思うのは、土地バブル崩壊の後の不良債権処理で槍玉に挙げられた破綻金融機関である長銀などの旧経営陣にたいする刑事責任訴追の経緯だ。彼らは最高裁まで10年以上争い無罪判決を得ている。

正直起訴された時点で社会的生命は半分以上経たれているだろう。民事責任と刑事責任では後者のほうがずっと重い。もちろん確定するまでは法的には推定無罪だから、保釈状態で無い限り(つまり有罪でも執行猶予判決が出ていれば)自由になんでも出来るが、実際には社会的制裁はものすごい。家だって簡単には借りられないし、銀行はお金を貸してくれない。信用がゼロリセットされるのだ。

長銀の経営陣はたまたま破綻時に経営陣にいただけで、本当は長年の不良債権をためてきたのはこれまでの経営陣だったはずだ。それがトカゲの尻尾きりのように最後の経営陣だけやられてしまう。同様に特捜部捜査だとトップを捕まえるために、その直属の部下とは事実上の司法取引をするために、起訴猶予なり不起訴になることが多い。つまり実際には悪事に関わっていたとしても、見逃されてその後また同じような悪事を働いているケースも多いのだ。

私は個人としての経営陣に過度の刑事罰を設けることには反対だ。会社として行った犯罪であれば会社ぐるみで責任を取るのが正しい考え方のように思う。もちろん被害者感情からは到底受け入れがたいのかもしれないが、個人を生贄にしようとすると、どうしてもおかしなことになってしまいがちなのだ。

さて、面倒なことに巻き込まれたら弁護士に頼むのだけど、この本は読んでいたほうが
いいかもしれない。

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